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第7話 宴のあと⑦

「俺は、M学園大に進みます。それで、教師を目指します。」津々井の語るこの話は、和樹も初耳だった。津々井と兄の宏樹は似ているところがあると常々思っていたが、教員志望というところまで共通していたとは、驚きだ。 「それから、今まで学校のみんなには言ってなかったけど、俺も彼女がいます。」 「ええっ、そうなの?」よほど驚いたのか、名司会ぶりを発揮していた青野の敬語が崩れた。それぐらい、津々井は色恋とは無縁の風貌をしていた。 「相手は、みんなも知っている人です。去年、教育実習に来ていた、M学園大のカオリ先生です。」  今日この場で、一番大きなどよめきが起きた。カオリ先生は和樹も覚えている。かなりの美人だったから、担当クラスでない奴までもが見に来たほどだ。 「いつからつきあってたんですか。」 「実習の後、手紙を出したら、返事が来て、先生の大学の学園祭に誘われたから観に行って、案内してもらって、そのあたりからです。」 「手紙って、手書きの手紙?」 「はい。手書きで、切手貼って、大学宛てに送りました。メールも住所も知らなかったから。」 「春からは同じキャンパスで学ぶんですね。」 「いや、彼女は入れ違いで卒業なんで、一緒ではないんだけど。でも、彼女の後をがんばって追いかけて、良い先生になります。」 「津々井くんらしい爽やかな話、ありがとうございます。」誰ともなく拍手が起きた。拍手がおさまるのを待って「では、次の指名を。」と青野。 「水泳部が続いて悪いけど、副部長を務めてくれた田崎涼矢にバトンタッチします。」  和樹は叫びだしそうだった。津々井は味方じゃなかったのかと詰め寄りたかった。せっかく目立たないようにしているのに。なぜ、わざわざひっぱりだすような真似を。でも、そんなのは和樹の八つ当たりに過ぎないことは承知だった。味方も何も、津々井にだって本当のことは何も言えていない。  涼矢は素直に前に出てきた。少し青ざめているように見えるのは和樹の考え過ぎか。 「俺は、N大です。特に変わったことはないです。部活引退してから、髪を伸ばしてたけど、不評だったんで切りました。」淡々と話すが、髪のくだりは意外と受けた。 「例の彼女はどうなったんですか!」柳瀬が大声で言った。涼矢は聞こえないふりをしたが、柳瀬は更に「ほら、片思いしてた人、いたでしょ。」とかぶせてきた。柳瀬のしつこさに、本気で腹が立つ和樹だった。  青野は涼矢とは親しくなく、どこまでつっこんでいいのか戸惑っているようだった。「田崎くん。言える範囲のコメントをお願いします。」  涼矢は無言で立ち尽くしており、青野がますます困っていた。涼矢が黙っていることから、「涼矢は失恋したのではないか」「だとしたら、その傷をえぐるようなことをした柳瀬はひどい」という空気が流れだして、白い目が柳瀬にそそがれた。和樹は、そんな柳瀬に対しては良い気味だと思わなくはなかったが、「想い人に振られた」扱いをされる涼矢が不憫でならなかった。相手はこの俺だ、両思いだバーカと、柳瀬にも、その場にいる全員に対しても言って回りたかった。  そんな中、涼矢はボソボソと、しかし、落ち着いた声で話し始めた。 「俺にはずっと好きな人がいて。その人は」  和樹は、その続きに自分を名前を出されるのではないかと焦った。そして、そんな焦りを感じた自分に驚いた。涼矢が望むなら、同級生たちの前に手をつないで行くことも、公開キスも構わないと言った自分。あれは単なるその場の勢いの軽口か。俺は、心の深層では、涼矢との関係が他人にバレるのは怖いと、そう思っているのか。  涼矢の言葉は「本当は、絶対、俺のことなんか振り向くはずのない人でした。俺なんかが好きになっちゃいけない人でした。」と続いた。和樹は具体的な名前を出す気配のないことに安堵し、安堵する自分を、また、恥じた。「だから、告白するつもりもなかったんだけど、結局気持ちを伝えました。俺にそんな風に言われて、その人はすごく困っていました。俺は告白を後悔しました。」涼矢はそこで深く息を吐いた。「でも、その人は、俺の気持ちを、受け容れてくれました。それで、つきあうことにもなって。でも、これからどうなるかはわからないし、正直、うまく行く気は全然しない。でも、俺は、今すごく幸せです。その人のことを好きになって良かったと、心から思っています。」涼矢は青野をチラリと見た。「おもしろくない話ですみません。以上。」そこまで言うと、涼矢は、ぺこりとお辞儀をして、青野にマイクを渡し、そのまま部屋を出て行った。 「涼……」反射的に和樹が立ち上がりそうになるのを、そうと気づいた津々井が制した。 「やめとけ。」  青野は二本のマイクを手に呆然としていたが、しばらくして我に返ると、「人生いろいろありますね。それにしても皆さん素敵な恋をしているようで、僕は羨ましい限りです!」などと無理やりまとめた。「次の指名を聞くのを忘れてしまいました。では、目の前にいる日下さんにお願いしましょう。」  そこからまた数人が同じようなスピーチをしたが、それまでのような仰天エピソードもなく、無難な話題が続いた。そろそろみんなが飽きてきた頃に、間もなく退室時間であることを知らせるコールが鳴り、最後に全員で校歌を歌って、お開きとなった。  和樹はそのまま一人で帰宅し、「疲れた」を言い訳にして、家族とろくに話もせずに、すぐに自室にこもった。  部屋着兼パジャマにしているスウェットに着替えた。脱ぎ捨てたシャツを見て、それが涼矢のものであることを思い出す。和樹はスマホでメッセージを送ろうとして、やめた。

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