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第12話 Two for tea ①

 和樹は何も言えず、ただその背中を見ていた。すうっと滑らかに伸びる背骨。発達した背中から肩にかけての筋肉は、現役の頃よりだいぶ落ちてはいるが、鍛えあげられてきたのはわかる。三年間、ライバルとして、追いつき、追い越したいと思って見続けてきた背中だ。時に羨ましく、時に憎らしく、時に憧れてもいた。そして、今は、ついさっきまで、自分の下で快感に喘いだはずの身体だった。  ここから涼矢の表情は見えない。ただ、和樹に言い捨てた口調の強さとは裏腹に、敗戦したボクサーのように、ひどく虚ろで、落ち込んでいる後ろ姿に見える。  本当はこんなこと言いたくない。終わりにしたくなんかない。涼矢の後ろ姿はそんなことを叫んでいるようにも見えた。だいたい、俺が女役を嫌がったからって、それで終わりとか、なかったこととか、そんなことを言い出す奴じゃないはずだ。じゃあ何故。何故、涼矢は。  その時、和樹の脳裏にふと思い浮かんだ仮説。 「涼矢。それって、本心じゃないだろ? おまえ、わざと……。」 「わざとも何も、言った通りだよ。」 「おまえさ、俺は新しい女作って、まともに暮らせばいいんだって。そう思ったんだろ? 俺のために自分は身を引こうとして、わざと俺におまえのこと嫌いにさせようって。そういう魂胆なんだろ?」  涼矢は背中を向けたまま、否定も肯定もしなかった。その背中に向かって、和樹は話しかけ続ける。 「そんな風に迫れば、俺がビビって、やっぱりおまえとはつきあえないなんて言い出すと思った? あのさ、あんまり俺のこと馬鹿にするなよ。俺だって散々考えたんだよ、おまえとのこと。確かに、俺はいいかげんな人間だし、おまえが望む程深く考えてなかったかもしれない。けど、俺が涼矢が好きなのは本当だよ。どうして俺の気持ちを信じてくれないんだよ。」  涼矢は長いこと返事をしなかった。窓の遠くで、こどもたちがはしゃいでいるような声が聞こえた。 「どうしたらいいのか、わからない。」ようやく、涼矢は口を開いた。さっきまでの勢いはない。「信じろって言われても、信じたその先に、明るい未来なんて全然見えないし。まだ間に合う、今ならまだ引き返せる、和樹をふつうの世界に戻してやれるって、頭の中でずっと聞こえるんだ。和樹に抱かれて、本当に幸せで、でも、そう思えば思うほど、取り返しがつかなくなる前に早くどうにかしなくちゃって。……それから和樹を抱きたい気持ちも嘘じゃない。でも、おまえを傷つけたくない。嫌がることしたくない。だけど、このままだといつか俺、本当に和樹のこと無理やり……。そんなこと、絶対にしたくないんだ。だから、もう……。」絞り出すように、涼矢は言った。 「傷つかないから。」和樹は涼矢を背後から抱きしめた。「おまえ、俺が好きなんだろ? だったら俺は、おまえがやることで傷ついたりしない。絶対。」 「和樹。なんでそんな……。俺なんかにそこまで。」 「俺なんかって言うな。」和樹は涼矢に回した腕をほどいて、離れた。涼矢が不安そうに振り返る。「どうしていいかわからないなら、俺の言う通りにすればいい。」和樹はベッドに横たわり、両手を広げた。「こっち来て。」

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