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第18話 Two for tea ⑦
それから、時計を見た。午後六時。ここに来てからというもの、結局和樹が買ってきたお菓子も食べず、口にしたのは最初に涼矢が出してくれたお茶だけ。昼食も摂らないまま、この時間までずっと抱き合っていたことになる。
六時なんてまだ早い。だが、涼矢の母親の帰宅が気になってくる時間帯でもあった。万一顔を合わせるようなことがあったら、どんな反応をしていいかわからない。「あら、お友達? 夕食をご一緒に」などと言われるのはかなわない。それは自分の母親ならそうするだろうという想像に過ぎず、田崎家ではそんなことにはならないのかもしれないが。
「あれ、裸じゃない。」涼矢が戻ってきた。真顔で言うので、冗談か本気かわからない。更に床にあぐらをかいている和樹に「正座もしてないし、首輪もしてない。」と言った。どうやら冗談らしい。そういう涼矢自身はちゃっかり服を着込んでいた。
「首輪は言われてない。」
「そうだっけ。」髪の毛をタオルで拭きながら、涼矢はパソコンデスクの椅子に座った。
「せっかく整えたシーツをまた乱したら悪いから、地べたでおとなしくお座りしてたんだよ。」
「ああ、そんなの何度でも敷き直すよ。乱れただけならね。」涼矢はそこでニヤッと笑った。「汚れるのは、また洗濯しなきゃならないから、困るけど。」
「乱れるってことは、汚れることをするってことだろ。涼矢ったら、やーらし。」
「やーらし、って自分が言ってるんだろう。」
「今日はもう、乱しも汚しもしませんよ。だって。」
「だって?」
「ケツが痛い。」
「ごめん。下手で。」涼矢は笑いもせず、心底申し訳なさそうに言った。
「いや、そういう意味じゃない。おまえだって、痛かったろ、最初は。」涼矢は赤面して黙り込む。「そりゃ、本来の使い道じゃないからな。仕方ないだろ。そのうち慣れる。何事も経験だよ、経験。」
涼矢は椅子から立ち上がり、和樹の隣に座りなおした。「でも、経験積むのは、俺だけにして?」
「うん。」和樹は素直に言う。「そんなの、当たり前。」和樹は涼矢にキスした。涼矢の頬はまだ赤らんだままだ。和樹はそれをしばし観察した後、意を決して立ち上がった。「帰る。」
「何、急に。」
「キリがない。このままいると、またヤリたくなる。」
「いいんじゃないの、別に。」
「あんまり最初から突っ走ると、ある日突然、冷めるものなんだ。」
「経験者は語る?」
「そうだ。それにまたシーツの洗濯をさせるのは悪いしな。それに俺は今、ものすっごく…」
「ケツが痛い。」二人は同時に言い、同時に笑った。
「なんなんだよ、このオチ。」和樹が言いながら、ドアに向かう。「本当に帰るよ。また、明日な。」涼矢も立ち上がり、二人で部屋を出た。和樹は随分と不安定な足取りで階段を降りはじめた。
かと思うと、その途中で、「涼矢くん……。」と世にも情けない声で言い出した。「あのさ……。マジで、チャリ乗れる気がしない。置いて行っていい?」それを聞いた涼矢がプッと吹き出したので「笑うな。」と怒った。「テメエのチンコがデカイせいだからな!」
「あー…えっと、それは俺、謝るべき?」
「謝るな。余計悔しいから!」
「で、どうやって帰る? タクシーでも呼んでやろうか?」
「まさか、そこまでじゃない。適当に帰るよ。へっぴり腰で。」
「ダッセ。」
「涼矢のせいだろ。」
「早く慣れろよ。」
和樹はそれに返事をせず、軽くバイバイと手を振り、ドアノブに手をかけた。
「あ、ちょっと。」
「うん?」振り向いた和樹の肩を引き寄せ、涼矢がチュッと優しいキスをした。
「じゃ、また。明日。」自分でしたことに少し照れている様子で、涼矢ははにかむように笑った。不意打ちの優しいキスやその笑顔に、和樹はついキュンとなってしまう。
「おう。明日な。また連絡する。」
平静を装ったが、一歩外に出ると、和樹は急に恥ずかしくなった。別れ際のあんなキスって。馬鹿ップルかよ。ていうかマジでケツが痛い。この痛みはあいつだってわかるだろうに、早く慣れろなんて、あいつ意外とSなんじゃないか。思えばいつもそうだよ、あいつ、けなげで不器用なフリして、結局俺のほうからつきあってくれってお願いしたし、結局俺抱かれちゃってるし、んでもって、慣れろってことは今後も俺がそっち役決定みたいだし。これって実は全部あいつの策略なんじゃないのか。そうだよ、すぐに自分が身を引くような殊勝なこと言うけど、その割に結構嫉妬するし、浮気するなとか言うし。なんか俺、涼矢の手のひらの上で転がされてるんじゃないのか……。
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