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第20話 アクアリウム②

 翌日、和樹と涼矢は予定通り水族館に向かった。和樹がこの水族館を訪れたのは二年振りぐらいか。あの時一緒にいたのは誰だっけ。自分の薄情さに腹が立つ和樹だった。 「あ。」チケット売り場の手前で、涼矢が足を止めた。 「どうした。」 「あれ。」涼矢が顎で示した方向には、卒業式後の打ち上げで交際宣言をした津々井奏多と、教育実習生だったカオリがいた。ちょうどチケットを受け取っているところだ。彼らが入口ゲートをくぐるのを見届けると、涼矢が「やっぱり、今日はやめようか。」と言い出した。 「なんで。どうせ中は人がたくさんいて、わかりゃしないよ。ていうか、別にいいだろ、知り合いがいたって。しかも奏多だし。」  涼矢は一瞬にらむような目で和樹を見た。「和樹は、わかってない。」 「何がだよ。」  涼矢は少し口ごもってから言った。「男二人でこういうとこ、ふつうは来ないだろ。それだけで気持ち悪いって言う奴は、いっぱいいるんだよ。俺、全然赤の他人なら平気だけど、知り合いとか友達には知られたくない。ごめん、俺が誘っておいてこんなこと言うの、今更だけど。軽率だった。」 「気持ち悪いなんて言う奴には言わせておけばいい。それに奏多はそんな奴じゃねえよ。」 「奏多が良い奴なのは知ってるよ、でも、それとこれとは違う。」 「なんでそう悲観的なんだよ。大丈夫だから、気にしないで行こうぜ。」和樹は涼矢の返事を待たずにさっさとチケット売り場に向かった。窓口で料金を払う段になって、涼矢が割り込むように突撃してきて、強引に二人分の支払いをした。  巨大な水槽の中を群れなして泳ぐイワシ。優雅に舞うエイ。巨大なマグロやカツオ。時折鋭いスピードでサメが横切っていく。底のほうにはエビやカニ、岩陰にはウツボも見えた。南洋の美しい熱帯魚も見た。ゆらゆらと漂うクラゲも見た。若干気まずくて、館内に入ってしばらくは口も利かずにいた二人だが、魚たちを見ているうちに自然と会話が弾みだした。もっぱら「あのアジ、フライにしたら美味そうだ。」だの「このタカアシガニは何人前だろう。」だのと食い気に結び付けた内容ではあったが。  この水族館はイルカショーのような派手なイベントはないものの、屋外のエリアにはペンギンの移動が直接間近で見られたり、ヒトデなどに直に触れられるコーナーがあった。親子連れや他のカップルに交じって、二人はそれらを案外無邪気に楽しんだ。 「あら、都倉くん? それに、田崎くん、だよね?」背後から声をかけられた。振り返ると、カオリがいた。 「あ、どうも。お久しぶりです。」和樹は無難に挨拶をする。それに便乗して会釈だけする涼矢。「奏多は? 一緒ですよね?」と和樹が聞く。涼矢が余計なことを言うなと言わんばかりに、そっとわき腹を肘でつついた。 「知ってるのね、私と津々井くんのこと。」 「ええ、まあ。」 「恥ずかしいなあ、もう。なんで言っちゃうのかな、あの子は。」そう言いつつも嬉しそうなカオリだった。「今、ソフトクリーム買いに行ってる。あ、そうだ、都倉くんたちも食べる? 私、ごちそうするわよ。」そう言っている間にも財布を出そうとするカオリを、涼矢が手で制した。 「いいです。腹減ってないんで。」初めて涼矢がカオリに向かって話した言葉は、そんな無愛想なものだった。 「お待たせ。」のんきな声が近づいてきた。奏多だ。カオリの前にいる二人が誰かを知ると、ニヤけた顔がこわばった。それはデート中を見られた照れくささというよりは、会いたくない人間に出くわしたかのようだった。奏多は両手のソフトクリームを二つともカオリに預けると、「ちょっと、いい?」と和樹と涼矢を両脇に抱えこみ、カオリから引き離すように数メートル離れた場所に連れて行った。  奏多は声をひそめて、二人に問いただした。「おまえら、二人で来てんの。」 「そうだけど。」和樹は飄々と答えた。 「あのさ。おまえらって、マジで、そういう仲なわけ?」 「だったらどうすんの?」 「別に、そんなの人の自由だから構いやしないけど。」  奏多の言葉を聞いて、和樹は涼矢に「ほら、大丈夫だったろう?」という意味の目配せをした。が、その続きの言葉は、意外なものだった。 「でも、カオリには絶対言うなよ。な? 俺まで変な風に思われるのは困る。俺も誰にも言わないからさ。」  和樹はカッとして奏多に一言言ってやろうと身構えたが、それより早く、涼矢が「なんか勘違いしてるみたいだけど。」と割って入った。「俺とこいつは別にそんなんじゃないよ。俺が女の扱い方知らないから、こいつにいろいろ教えてもらってただけ。例のキスマークもそれのお遊びだよ。こっちも邪魔する気はないから、ここで。」涼矢はそのまま奏多に背を向け、歩き出した。和樹はやむを得ずそれを追う。涼矢は一度だけ振り返って、カオリに会釈した。カオリは小さくバイバイを返した。  「俺まで変な風に思われるのは困る」という奏多のセリフが、頭の中に黒く渦巻いた。  「誰にも言わないからさ」というセリフが、胸に重く響いた。  その言葉の意味に傷つき、その言葉を奏多が口にしたことに呆然とした。

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