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第31話 Lovers ⑧
そう。嫌じゃないんだよな。和樹はさっきまでの自分の痴態を思い出す。
「和樹、またなんか考えてる。さっきもそんな顔してた。何か不満でも? あまり良くなかった? 俺が下手だから?」
「違うよ。」和樹は涼矢の腕の下をすりぬけて、壁ドン体勢から脱した。涼矢に与えられた着替えを手に、洗面スペースを通り抜け、隣接するリビングのほうに出る。脱衣所は男二人で着替えるには狭すぎたのだ。涼矢に背を向けて着替え始めた。
涼矢はまだ水滴の残る自分の身体を拭き、そのまま脱衣所で着替える。
「おまえ、下手じゃねえよ。」と和樹がズボンに左足を突っ込みながら言った。「ついこの間まで童貞だったくせに。」
「褒められてるのか、俺?」
「ベタ褒めしてる。」
「和樹も、ついこの間までバックバージンだったとは思えない…」と言いかけた涼矢に、和樹が何かを投げつけてきた。ブルーレイを見ていた時のソファのクッションだった。
「それ!」と和樹が言った。大声ではないが、怒っているような声だ。
「何。」涼矢はキョトンとしている。
「今、俺、戸惑ってんだよ、そこで! 俺はね、男として今までやってきて、こっち側の想定がなかったんだよ、俺の人生において! それが、どうしてこうなっちゃってるのか、自分で自分がよくわかんなくて。」
「……今のは、要するに、ケツで感じる自分に納得いかない、という話か?」
「身も蓋もねえな! そうだよ! もうちょっと言葉選べ!」
「ごめん。」
「謝るな、おまえ悪くねえし!」
「ムチャクチャだぞ、和樹。」
「わかってるよ。」
涼矢は淡々と着替えを済ませると、和樹のいるリビングに移動した。「なあ。」
「なんだよ。」和樹は今ようやくTシャツに頭をくぐらせているところだ。
「俺は、セックスしてもしなくても、和樹が好きだよ。でも、できるんならしたい。」
「ああ。」
「男役とか女役とか……俺、この言い方は好きじゃないけど……まあ、そういう役割っていうのかな、それもどっちでもいい。和樹が嫌なら……。」
「嫌じゃないって。」和樹と涼矢は再びソファに並んで座った。和樹の投げたクッションは涼矢が元に戻した。和樹は身体を涼矢のほうにゆっくりと傾けた。涼矢の腿に頭を着地させて、和樹は言う。「嫌じゃないんだ。おまえに抱かれるの。全然嫌じゃない。だから戸惑ってる。」
涼矢は猫でも撫でるかのように、和樹の髪やこめかみのあたりを撫でた。「和樹が気持ちいいなら、それで良くない?」
「……うん。」和樹は足もソファに投げ出して完全に横になり、涼矢に耳かきでもしてもらうような姿勢になった。涼矢はずっと和樹の髪を撫でている。「気持ちいいならいい、か。……今も、なんか、気持ちいいや。眠くなってきた。」
「寝ていいよ。」
「つまんないだろ、おまえが。」
「妄想シリーズにあるから。和樹の寝顔を眺めるってのも。」
ふふっと笑うと、和樹は本当に目をつむり、間もなくかすかに寝息を立て始めた。涼矢はうっとりとその寝顔を眺め、こめかみにそっと口づけた。さっきまでとは打って変わって、静かに時が流れた。
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