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第44話 A mother's son ④
和樹はしばし考え込む。涼矢も何も言わない。数分間の沈黙の後、口を開いたのは和樹だった。「俺も、言ったほうがいいかな? 俺たちのこと。少なくとも、兄貴には。」
「わからん。」涼矢は素っ気なく言う。和樹は何か機嫌を損なう言い方だったかと気を揉んだが、涼矢はこう続けた。「和樹のお母さんやお兄さんは、きっとうちの親とは全然違うタイプの人だろうし、何より、先生の件で俺とおふくろには共有する過去がある。和樹んちとうちとでは、事情が全然違うんだよ。俺が親バレしたのに、自分は黙っているのが俺に悪いって意味で言ってるなら、それは違うんじゃない?」
「そう、か。」
「言いたい気持ちもわかるよ。俺も正直、ちょっとホッとしたとこ、あるから。でも、和樹のお兄さんや親が、さっきのおふくろみたいな反応をするかどうか考えると……そうはならない可能性が高いと思う。楽になろうとしてカミングアウトして、余計しんどい思いをするかもしれない。」
「……。」
「俺は、和樹がしんどい思いをするのが、一番、嫌だ。俺のせ、」
涼矢が話している途中で、和樹が言葉をかぶせた。「俺のせいで、って言うなよ。」
和樹は話題を変えた。「涼矢のお母さんって、前から知ってたの? その、涼矢が男が好きってこと。」
「……バレてないつもりだったけど、さっきの様子を見ると……薄々は知っていたのかもなあ。」
「気付かないふりをしていてくれたわけか。」
「悪い、和樹。本当にごめん。」
「だからさ、なんでそこで謝る。」
涼矢は横たわったまま、頭だけを和樹のほうに向けた。ちょうど目の前に和樹の顔がある。「あのな、和樹。他に好きな子ができたら、それは仕方ないんだ。どんな恋愛だってそうだろ。俺がゲイだからって、そこに変な責任を感じる必要はない。俺を振ることを後ろめたく思う必要ないから。」
「振り出しに戻るなよ。」和樹は涼矢の頬から顎のラインを撫でた。「そりゃあ、これから先、おまえより好きな人ができるかもしれない。でも、それはおまえも条件は同じだろ? 俺は今、おまえが好きだよ。それだけじゃダメなのか? もっと特別な理由とか条件がないと、俺らは恋愛しちゃダメなの?」
涼矢は何か言いたげに口を開いたが、何も言葉が出てこなかった。
「涼矢、俺のこと好きなんでしょ?」
「ああ。」
「なら、それでいいんじゃない? おまえ、昨日言っただろ、俺が気持ちいいなら、それで良くない?って。同じだろ。俺が涼矢を好きで、おまえも俺のこと好きで。じゃあ、それで良くない?」
「そっか。」
「そうだよ。」
どちらからともなく、唇を重ねた。
「それにしても。ノックされた時は死ぬかと思った。」突然、そして、ようやく、涼矢がその件に触れた。
「そうは見えなかったけど。おまえ、おふくろさんのこと、めちゃくちゃ睨みつけてたし。」
「ああでもしないと倒れそうだったから。いきなりゴミ箱チェックとかありえねえだろ。」
「うちの母親なら絶対しない。つうか、思いつきもしないんじゃないかな……。涼矢の言うとおり、俺んちと涼矢んちは全然違うよな。」
「おふくろも言ってたけど、今日は、家に帰れよ。それで、家族と過ごしなよ。」
「帰るよ。帰るけど。」
「俺が和樹独占して、悪いことした。」涼矢は、佐江子の「家族と一緒に暮らせるのもあと少し」という言葉を反芻しているに違いない。
「そんな深刻なもんでもないだろ。ま、今日のところは夕飯に間に合うようには帰る。それまでここにいていいだろ?」和樹が言うと、涼矢は、もちろん、とうなずいた。
自分で言った夕飯という言葉に、和樹はひとつ思い出したことがあった。母親が、自分と宏樹の進学や就職のお祝いに食事をしようと言っていたことを。和樹はスマホで宏樹にメッセージを伝えた。今日は早めに帰るから、宏樹の都合が良ければ今夜にでもみんなで食事に出かけないか、と。
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