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第36話
夏休みがやってきた。
学期が終了しても7月いっぱいはテニス部の強化練習や試合があり、家に帰るのは8月になった。
休み中は毎日陽向に会える。そう思うと口元が緩む。
母に聞いた話だと、最近勝は少し落ち着いたようだ。母は最近臥せがちで、痩せてきているように見える。早くこの家の中が平穏になって母の心労が減ればいいのだがと思う。
普段、週末に征治が家に戻った時は、勝は殆ど顔を見せない。
中学でも好き放題やっている勝だが、なぜか柔道部の練習だけは真面目に取り組んでいるらしい。休みの日は柔道部か、そうでなければ隣駅の近くにあるゲームセンターに入り浸っているようだった。
夏休みに入っても勝の生活スタイルは変わらず、一度征治が夕飯は皆で一緒に食べようと声を掛けたが、野良犬のようにガルルーと唸って噛みついてくる。横でハラハラした顔をしている母を見て、征治はそれ以上言うことをやめた。
それでいて、勝は平日の小太郎の散歩はちゃんとやっているようだった。
小太郎は勝の心も癒しているのかもしれないな。しばらくは勝と距離をとって刺激をしないようにして見守ろう。なるべく早く寮から戻ってきたかったが、これはまだ時間がかかるかもしれないと思った。
やはりすぐそばに陽向がいるのはいい。
陽向は朝早くからちょこまか動き回って、庭の水やりなどをしている。今年は重さんに許可をもらって、使用人の離れの南西の壁沿いに朝顔のカーテンを作っていた。
征治も時々それを見に行く。ピンクや紫、真っ青なものから灰色のようなものまで一言で朝顔と言っても色とりどりだ。
「征治さん見て!今朝は朝顔78個も咲いたんだよ!」
「それはすごいね。ひと夏で一体どれぐらい咲くんだろう」
「これのおかげで少し離れが涼しい気がしますよ」
すぐそばで洗濯物を干していたお手伝いさんが笑う。
「きっとたくさん種が採れると思うんだ。そしたら、その種を近くの幼稚園に持っていこうかと思ってるんだぁ」
にこにこ話す陽向はかわいい。
「来年は朝顔、植えないの?」
「来年は、ゴーヤのカーテンにするつもり。その方が葉の陰が大きくて涼しいみたいだし。その次はキュウリもいいし、西洋朝顔もやってみたいなあ。日本の朝顔とは茂り方が全然違うみたい」
「陽向、昼間作業するときは熱中症に気をつけなよ?ちゃんと帽子も被って、水分も取りながらやるんだよ」
「うん」
にこっと笑う陽向。この小さな頭に大きめの麦藁帽子を被っている姿が、征治は結構好きなのだ。
八月も下旬に入った週末。いつものように小太郎を連れて陽向と出掛ける。
二人の少し前を歩いていた小太郎が、いつもの曲がり角でどっちに行こうか迷うような素振りを見せた。ちらりと陽向を振り返り、まるで「どっちに行く?」と聞いているようだ。
「コタ、河の方へ行こうよ」
陽向がリードをくいっと右の方へ引っぱると、分かったというように分かれ道を右に歩き始める。
「ここで反対に行く散歩コースもあるの?」
征治が聞いた。
「うん。勝君って、もの凄く暑がりなんだ。最近、河沿いは日陰が無くて暑いって、よく神社の方へ行くんだよ。ちょっと遠いけどね」
「そうなんだ。じゃあ、その散歩コース、俺にも教えて?小太郎、案内して?」
征治がリードを左側に引っ張ると、小太郎はくるりと振り返り首を傾げる。征治が左側の道を指で指し示すと、了解したというように、進行方向を変えて歩き始めた。
神社は緩やかな階段を60段ほど登った小高いところにあり、周りを大木で覆われていて
木陰が多く、確かに少し涼しかった。
周りの木々から蝉しぐれが聞こえてくるが、どこか静謐とした空気も流れている。境内から見下ろすと、少し離れたところにいつも散歩に行く河が見えた。
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