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第38話
翌朝は早くから重さんの手伝いをしている陽向に声を掛けられず、話すことが出来たのは夕方庭に出た時だった。小太郎の散歩から戻ったばかりで、小太郎に水を飲ませていたところへ、声を掛けた。
「陽向、おかえり」
陽向がびくりとした様子で振り返った。
ん?なんだ?
違和感を覚える。
だが、初めてのキスをした翌日で照れくさいのかもしれない。
ふと見ると、陽向の左ひじと左足に大きな擦り傷がある。まだできたばかりで、うっすら血が滲んでいる。
「陽向、どうしたんだ、そのケガ」
「えへへ、さっき散歩中にちょっと転んじゃったんだ。かっこ悪いよね」
そう笑う陽向がぎこちなく見えるのは気のせいだろうか?
「ちゃんと洗って消毒した方がよくない?おいで、やってあげるよ」
すると、陽向は慌てた素振りで首を横に振る。
「大丈夫、ちゃんと自分でできるから。消毒薬ある場所もわかってるから」
そう言うと、陽向は離れの方に走って行ってしまった。
翌日になり、征治は昨日感じたあの違和感が間違いではなかったと確信した。
陽向の様子がおかしい。
征治が話しかけると、応えはするもののどこか上の空というか、いつもはじいっと征治の目を見上げてくるあの黒い瞳が、落ち着きなく周りに視線を走らせるのだ。
それは夏休み最後の小太郎の散歩のときも同じだった。例の分かれ道で
「今日も涼しい神社の方へ行く?」
と聞くと、陽向は大きくかぶりを振り、
「か、河に行こうっ」
と自ら小太郎を引っ張る勢いで右側へ折れる。
征治はここ数日悶々と悩んでいたことを目の前に突き出された気がした。
やっぱり、まだ陽向にはあのキスは早すぎたのだ。
本当は嫌だった?怖かった?だから、思い出しそうで神社に行くのは嫌なのか?それともまた同じことを俺にされるかもしれないと怯えて?
ああ、俺はなんて愚かなことをしたんだ。まだ手を出さないと決めていたはずなのに、情けなく盛ってしまって・・・頭を抱えて座り込んでしまいそうになる。
河原の土手に腰を下ろした時も、いつもより二人の間に距離があるような気がする。
暫く二人で黙って川面を眺めた。しかし、やはり陽向は落ち着かない様子で、時々周りをきょろきょろと見回している。
「ねえ陽向。この前はごめんね、変なことして」
「え?あ、ううん」
陽向は赤くなったり否定したり、その上表情も次々変わってなんだかおかしい。
「俺、明日寮に戻るよ」
陽向ははっとしたように征治を見上げる。
「俺が寮に戻ると、寂しい?それともちょっとホッとする?」
陽向は泣きそうな顔をした。そして両膝を抱えた間に顔を伏せ、
「そんなの、寂しいに決まってるじゃん。僕、ほんとに寂しい。寂しくて泣いちゃいそうだよ・・・」
その答えに、征治は自分は嫌われたわけではない、ただまだ陽向には受け止めきれなかっただけだと思い、心底ほっとした。
これからはちゃんと理性で欲望を押さえよう、陽向をもっともっと大切にしようと心に決めた。
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