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第39話

新学期が始まり寮に戻ってから半月も経たぬうちに、祖父が出先で心筋梗塞を起こし亡くなった。 あまりにも突然で、家族の誰も死に目に会うことが出来なかったが、祖父はまるで自分の死を予見していたかのように、自身の死後の段取りをつけていた。 森本弁護士事務所には定期的に書き直していた遺言書が預けられており、松平家の資産についての采配も詳しく取り決められていた。地元では松平の大旦那様が亡くなったと、それなりに大きく扱われ葬式も盛大なものになった。 征治は忌引きで実家に戻り慌ただしく手伝いをし、なかなかその死を悼む時間もなかった。 ようやく葬儀を終え、祖父の離れに入ってみた。いつもぴしりと背筋を伸ばしていた祖父の姿そのままに、離れは整然と片付けられていた。 躾や行儀、人間の在り方について大変厳しい人だったが、征治は祖父の事が好きだった。根底にはとても温かいものがあって、いきなり征治と勝が陽向を引き取ってくれと無茶なお願いをした時も、子供の言うことと一蹴せず真面目に話を聞いて、父に掛け合ってくれた。 この夏休みには祖父に乞われて何度か将棋の相手をした。昔は駒落ちしてもらっても手も足も出なかったが、今年は駒落ちせずに5割の勝率だった。征治が勝っても「強くなったな」と祖父はにこにこと嬉しそうだった。 おじいちゃん、ありがとう。僕もおじいちゃんの様に皆に尊敬されるような人間になれるよう努力するよ。 祖父が愛用していた文箱を撫でながら征治は祖父に別れを言った。 それからしばらくは、とても忙しかった。忌引きで遅れた課題の提出や、祖父の死で負担がかかったのか母がまた体調をくずして入院をしたり、祖父の遺産の相続人は母と孫二人が主だったから色々な手続きもあった。 そして祖父の死から四十九日どころか半月も経たないうちに、父が、祖父の離れを自分の政治活動用の書斎や応接室に改造すると言い出した。征治は直感的に嫌だと思った。 「うちの屋敷って市の歴史的建造物に指定されていて、勝手に改築できないんじゃなかった?」 意見すれば機嫌が悪くなる父の性格を知っているのに、思わず口を出してしまった。 「そんなことはわかっとる。外はいじらず中を改造するだけだ。そろそろ党の重要なポストも回ってくるし、それなりの箔をつけないとならんからな。あの離れはその点申し分ない。 お前たちもくだらないスキャンダルのもとにならんように、真面目な学生をしていろ。特に、勝。これ以上迷惑を掛けるな。いちいちお前の起こしたくだらんトラブルを握りつぶして回る秘書の手間を考えろ」 征治はもう何年も前に、偶然聞いてしまった祖父の言葉を思い出した。 当の祖父の離れの縁側で、母に言い聞かせていたのだ。 「あれは、したたかな野心家だ。知らないうちに松平を食い物にされないように気をつけなさい。あれがわしやお前が住み慣れた家の方がいいだろうなどと言って、この家に入り込んで、門に松平より二回りも大きな慶田盛の表札を並べた時から嫌な予感がしておったのだ。あれは町で一番大きな屋敷に自分の名前が掲げたかっただけなんじゃ。前は風見がおってくれたが、今は誰かあれを諫めるものがおるのかどうか・・・」 征治は散歩のときに陽向につい愚痴をこぼしてしまった。 「はあ、俺はやっぱり親父が苦手だよ。じいちゃんとの方がよっぽど気が合った。子供の頃、学校の宿題で俺の名前の由来を聞いた時、『お前が世の中を治める人間になるように、だ。征服するの征に統治の治だ』と言われたときはぞっとしたよね」 「征治さんは大旦那様と奥様に顔も性格もそっくりだもんね。あ、でも勝君は旦那様に顔は似てるけど、全然反りが合わないかぁ。勝君も自分の名前が嫌だって言ってた。旦那様に『勝つように勝(マサル)とつけたのに、お前は負けてばかりだ』なんて酷いこと言われてて、可哀そうだった」 「勝が親父に反発する気持ちもわかるよ。親父は自分が貧しくて大学に行けなかったせいで強烈な学歴コンプレックスがあるんだ。それを俺と勝で解消しようとするから勝が怒るんだ。誰にだって得手不得手はある。勝は勉強が苦手でも柔道は頑張っていて強いんだろう?」 「そう。今日も試合なんだよ。征治さん、今のそれ勝君に言ってあげてよ」 「そうしたいのは山々なんだけど、あいつ俺を見ると突っかかるか、どっか行っちゃうかでさ」 ふうと溜息をつく。 「でも旦那様は僕を引き取ってくれたよ。僕にとっては恩人だよ。あ、僕あの人の方が苦手かも。征治さんの叔母さん」 「ああ、恵子叔母さんね。あの人は俺もすごく苦手。その娘の里香も」 父の妹は隣の市に住んでいて、度々やって来る。 征治は彼女が父に金の無心に来ていることを知っている。それだけなら、まだいい。何かと意地の悪い嫌味が多いのだ。賢い母はうまく受け流してはいるが、叔母たちが帰った後はいつもどっと疲れが出ているようだった。

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