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<第4章> 第43話
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また歯車が動いた。
外回りに出ていた征治はゲリラ豪雨に会い、近くの喫茶店に逃げ込んだ。この雨では1分も経たぬうちにずぶ濡れになるだろう。
雨が通り過ぎるまで、コーヒーでも飲んでやり過ごそうと空いたテーブルに向かいかけたところで、
「慶田盛さん?」
と女性に声を掛けられた。
久しく呼ばれなかったその名に内心ぎょっとしながら振り返ると、同年代のセレブ妻風の女性が近くのテーブルから微笑んでいる。
「征治さんでしょ?内藤医院の千香子です」
「千香子ちゃん!?」
千香子は征治の地元の言ってみれば幼馴染だった。
「お懐かしいわ。誰かとお待ち合わせでなければ、こちらでご一緒しません?」
おっとりとした上品な物腰で笑う。
内藤医院は征治の地元で何代も続く内科で、征治の家のかかりつけ医でもあった。
千香子はそこの娘で、小学校から私立のお嬢様学校へ通っていたからあまり一緒に遊んだわけではないが、征治と同じ茶道の師匠に習っており兄弟弟子の関係だった。お茶の師匠は征治の家の3軒隣だったので、稽古の行き返りをよく見かけたものだ。
千香子は短大を出た後、すぐに見合いをして医者と結婚し、もう5歳の娘がいると言った。今はその娘のバイオリンの稽古の時間で、レッスン中、娘が母親の方ばかり見て集中できないので、稽古が終わるまでいつもこの喫茶店で時間を潰しているのだという。
しばらく和やかに互いの近況などを話したあと、ふと真顔になった千香子が尋ねた。
「征治さん、征治さんのところにいた陽向君と弟の勝さん、今はどうしてらっしゃるの?」
征治はぐっと返事に詰まった。
その様子を見た千香子は深くは追及せず、言葉を続けた。
「征治さん、私ね、ずっと気にかかっていたことがあるの。もう時効だと思うのだけれど・・・もし気分を害されたらごめんなさいね?
あの・・・昔、陽向君が慶田盛家のワンちゃんをその・・・死なせてしまったことがあったでしょう?」
征治は目を見開く。なぜ千香子がそれを知っているのだろう。
「あの日、ちょうどお茶のお稽古があったのを覚えていらっしゃる?私は征治さんより少し前に先生の所をおいとまして、慶田盛家の近くを歩いていたの。そうしたら、ワンちゃんの普通じゃない鳴き声が聞こえてきて・・・私、お散歩のときに時々撫でさせてもらったこともあったから、どうしたんだろうって声のする方を探して垣根に沿って走っていったの」
千香子は眉根を少し寄せながら続けた。
「そうしたら、垣根の間からお庭の中が見えるところがあって・・・真っ白なワンちゃんに赤い血がついてて、陽向君と勝君がもみ合っていたの。陽向君が勝君の腰にしがみついて『やめて、コタが死んじゃう』って叫んでて・・・勝君は体が大きかったでしょう?陽向君を投げ飛ばして・・・でもまた陽向君が勝君に縋りついて・・・」
征治は驚いて声も出なかった。
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