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第58話

勝は陽向に会わせてくれと懇願した。 勿論その気持ちもわかるし、自分も陽向に会いたい。会っていろいろ詫びたかった。しかし、すんなり会ってもらえるとは思えなかった。 かと言って、今の陽向の状況を思うと家を調べて押しかけたりするのは全くの逆効果だろう。征治に会っただけで陽向は引きこもってしまったのだから。出版社も吉沢も個人情報は教えてくれるはずはない。 結局その時は、よい方法が思いつかなかった。 勝には必ず陽向と会えるように尽力することを約束して帰した。最後に陽向の本を三冊渡してやった。一冊目は絶版で手に入れるのは苦労したんだぞと言うと、押し抱くように胸に抱え「兄貴、ありがとう」と言った。 やっと、弟と心が通じ合った気がした。 今夜はこのままホテルで一泊して帰るので、風呂に入りベッドに横になった。 勝に会いに来たことは正解だった。陽向との再会、吉沢との出会い(これが無ければ俺は陽向と再会していたことにすら気づかなかった)、千香子との再会、そして8年振りの弟との対話。 止まっていた過去が急に動き出したのを感じる。まるで誰かに仕組まれたように次々と展開していく様に、もしかしたら天が己の罪に気づき改めよと言っているのかもしれないと思った。 小太郎の事件以来、征治は陽向を遠ざけた。最初は裏切られたという気持ちから、その後はほかにも思うところがあったのだが、理由はどうであれ、そのことが陽向を酷く傷つけたに違いなかった。自分の味方だと思っていた恋人に誤解され、その後突き放されたのだから。 陽向の1冊目の本を思い出す。主人公の婚約者が泣いたシーンだ。主人公の男は彼女の涙の理由がわからなくて戸惑っていた。あの時、彼女は自分の言葉や心が、現実逃避を続ける男に届かないことが悲しかったのではないのか。あれはきっと陽向の気持ちそのものだったのだ。 なぜあの時、かってに自己完結せずに、もっと陽向の側に立ってやらなかったのだろう。 既に起こってしまったことに対して「タラ・レバ」を考えるのは時間の無駄だと、父の事件以来自分に言い聞かせてきた。さっさと諦めて先のことを考えた方がマシだと己を鼓舞してきた。でも、今は考えてしまう。 もし、勝が小太郎を殺したりしなければ。 陽向がやったなどと嘘をつかなければ。 そして俺が、陽向の心変わりを疑ったりしなければ。 陽向のことをちゃんと信じてやっていれば。 そうだとしたら、陽向は声を失わずに済んだのだろうか? 俺は・・・陽向を失わずに済んだのだろうか?

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