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<第6章>   第59話

近くのコンビニで振込処理をして戻り、一階の郵便受けの中を確認すると、あすなろ出版の封筒があった。なんだろうと思いながら7階までの階段をのぼる。 部屋に入り、封筒の上部をハサミで切ると中から何も書いていない白い封筒と一枚の紙が出てきた。紙には「転送を頼まれました」とだけ書かれ、篠田さんのサインがある。たまにくるファンレターだろうかと、今度は白い封筒の封を切る。 風見陽向(かざみひなた)様 という宛名が見え、ファンレターではない事が分かる。 『どうしても会って話したいことがあります。  この前会った公園の噴水広場に来てください。  日曜日の午後2時から6時まで、待っています。  雨の日には池の横の東屋(あずまや)で待ちます。  来てもらえるまで、いつまででも通います』 そして、最後にただ『征治』と書かれていた。 なんだ、これは! 陽向は驚愕して手紙を取り落とした。 あの人は・・・とうとう僕が風見陽向だと気付いたのか? 体ががくがく震え、思わず椅子にぺたんと尻をつける。 どういうことだ? どうしても会って話したいことってなんだ? もうあの人が僕に興味を持つことなんてあるはずがない。あんなところも見られたんだし・・・。 最後に征治さんを見た日・・・。 慶田盛の家を出ようとしていたあの日。勝君に激しく迫られ、途中からもうどうでもよくなって抵抗をやめたら、勝君は「陽向、陽向」と呼びながら覆いかぶさってきた。 急に日が陰った様な気がして窓に目をやったら、窓の外に征治さんが立っていて・・・あの時の征治さんの顔が何年経っても僕は忘れられない。激しい嫌悪の表情を浮かべすぐに踵を返して行ってしまった。 ああ、これで本当におしまいだ。でも少し予定が早まっただけだ。どっちにしろ征治さんは僕の事を憎んでいるし、僕には手の届かない人だったんだ。そう自分に言い聞かせてもあの時は涙が溢れて溢れてしょうがなかった。 机の上にぽたぽたと水滴が落ちていて、陽向は自分が涙を流していたことに気が付いた。おかしいな、もうずいぶん昔の事なのに。苦笑いしながら顔を拭う。 征治さんに再会した時は、本当に驚いた。颯爽と現れたイケメンが征治さんだって僕はすぐに分かったけど、征治さんは僕の事が分からなかった。 もう二度と会うこともないだろうと思っていた征治さんの登場に、僕の心臓はバクバクとオーバーヒートを起こしてしまいそうになった。 でも、デキるサラリーマンといった見た目の周りに冷たいオーラを纏ったその姿に、すぐに悲しい思い出が溢れ出して、僕はあの場から逃げ出した。あれからしばらくは封印していた過去が次々思い出されてとても辛かった。 やっぱり僕は誰の目にもとまらないようにひっそりと暮らしていけばよかったんだ。ちょっと本がでて、興味を持った人がいたからってのこのこ出て行ったりして・・・。何年もかかってようやく手に入れた心の平穏は一瞬で砕け散ってしまった。 そんな時、また公園であの人に再会してしまった。 バカな僕はもしかしたら征治さんが思い出してくれたのかってほんの少し期待してしまった。でもそうじゃなかった。もっとも、僕を憎んでいたことを思い出されて嬉しいはずはないんだけど。こんな偶然もうあるわけないから、僕は別れ際に心の中で何度もさよならを言った。 もうさよならしたのに・・・どうしてこんな手紙が届く? 陽向は呆然として窓の外を見やった。眼下に広がるのは広大な公園。征治と再会した噴水広場もここから見える。 7階建てなのにエレベーターも無いおんぼろ雑居ビルに居を構えたのはひとえにこの窓からの景色が気に入ったからだ。 僕はどうしたらいいんだろう?・・・ねえ、コタ? 陽向は本棚の片隅に飾ってある小さな色あせた写真に目をやった。

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