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第66話

次の週末も、その次の週末も征治さんは帰ってこなかった。 もう小太郎がいないから?不安が急速に広がっていく。声が出なくなってもう半月以上たっていて、ただでさえ不安なのに。征治さん帰ってきて。顔が見たい。姿が見たい。きっと小太郎の事はまだ怒っていると思うけど・・・。 その次の週末は、お手伝いさんが「久しぶりに征治さんが帰ってこられる」って言ってたから、僕は朝からそわそわしてしまった。いつもなら土曜の昼過ぎに帰ってきて、お茶のお稽古から帰ったら貸してくれる本を持って使用人の離れの方へやってきてくれる。でも今は僕は小屋にいるから、こっちまで来てくれるかな? ずっと待っていたけど征治さんは現れない。もしかしたら、あの日からずっと僕が小屋にいるとは思ってないのかな?そんな風に思い、筆談用のメモ帳と鉛筆をもって母屋の方へ行ってみた。 ちょうど征治さんが母屋の玄関から出て、門の方へ歩いていくところだった。声が出なくて呼びかけることもできないから、僕は追いつこうと門に向かって走った。やっと門の直前で追いついた時、征治さんが振り返った。 あ、気が付いてくれた。でも征治さんは、ちらと一瞬こちらを見やっただけで、そのまま出て行ってしまった。 え? 僕はその見たことのない冷たい視線に凍り付いた。 バカな僕はこの時やっと、事の重大さが分かったのだ。 『僕は征治さんの愛犬の小太郎を殺したんだ。しかもバットで殴り殺すという残虐な方法で』 小太郎が死んだ日からこの家の人達は小太郎の事をピタリと口にしなくなった。そして、誰も僕の事をとがめなかった。あの場にいなかった奥様でさえ、誰かをかばっているのではと言ったのだ。 だから、小太郎の横に僕と勝君が立っているのを見た使用人たちはもしかすると本当のことを察したのではないか、でもわざと曖昧にしてくれているのではないかと甘い考えもっていた。 でも、征治さんは・・・。 体がガタガタと震えだす。 急に足の下に大きな黒い穴ができて吸い込まれるような錯覚に陥る。慌てて門に縋ったけど、手にも力が入らずぺたんと地面に尻をついた。 征治さんに本当の事を話す? 話すって何を? 勝君が・・・突然キレて?お医者さんが言ってたみたいにテストステロンのせい?僕に対する異常な執着心から? 本当にそうなのかもよくわからない。そもそも勝君はどうして僕にあんなに執着するの?それ以前にどうして勝君はあんなに暴れるようになったの?どうして征治さんにあんなに酷く当たるの?そして、なぜコタにあんな酷いことをしたの? 僕は話すべき言葉が見つからなかった。 そして、もし話せたとしてもまたきっと僕の言葉は届かないのだと思った。 父さんが死んだ時も、母さんが死んだ時も、僕の言葉は誰にも届かなかった。たった一人征治さんを除いては。征治さんに届いたのは、征治さんが僕の事を信じてくれたからで・・・ 涙が溢れ出す。 やっぱり、僕の言葉は誰にも届かない。 ふらふらと立ち上がり、裏庭に向かう。コタの小さな墓石に縋りついて泣いた。 僕が苦しい時、いつも慰め支えてくれたのはコタと征治さんだった。もう、僕にはどちらもいないのだ。 僕は、独りぼっちだった。

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