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第67話

その夜、小屋で布団を敷いて潜り込むと、重さんが僕の枕元に胡坐をかいて座った。どうしたのだろうと思っていると、重さんはおもむろに口を開いた。 「のう、陽向。寝たまんまでええから、ちょっとわしの昔話に付き合え。 わしは孤児でなあ。一時期は浮浪者のような暮らしをしとったんじゃ。貧しい時代で、今でいうストリートチルドレンっちゅうやつが高架下なんかにごろごろおる地域に住んどった。 その中にわしと同じ年の兄と小さい女の子の兄妹(きょうだい)がおってな・・・わしはその兄貴と仲がよかったんでいつも一緒に行動しとった。うまい具合に飯が手に入れば3人でいつも分けおうてな。 でもそのうち兄貴の方が病気になってな、最期まで妹の心配をしながら死んでいった。妹の方はまだ小そうて、すぐ危ない目に会いそうになるから、わしが兄貴に代わって守ってやらんといかんかった。そのまんまの流れで嫁さんにもした。苦しい時代を一緒に生き延びてきたから通じとるもんがあると信じとった。 ある日、仕事から帰ったら嫁さんが男に襲われとったんじゃ。わしは嫁さんを守ろうと必死で男を引きはがして叩き出したら、男は玄関にあった傘で殴りかかってきた。応戦してもみ合っとるうちに男はアパートの階段を転げ落ち腕と足を折って頭を切って11針縫った。」 それって、重さんが刑務所に入ることになった理由?奥さんを守っただけじゃないの? 「警察に事情を聴かれてわしはそのまんまを答えた。すると、刑事が『奥さんの話とは全然違うぞ、嘘をつくな』と言った。 嫁さんが、日頃からわしに暴力を受けて知り合いの男に相談しとったのを、わしが知って逆上して男に襲い掛かったと証言したんじゃ。勿論、わしは嫁に手をあげたことなんかない。男は嫁の浮気相手やったんじゃ」 そんな・・・。 「じゃが、誰もわしの言葉を信じてくれんかった。わしはロクに学校も出とらんし、その頃は日雇いでガラの悪い連中に混じって働く肉体労働者じゃった。浮浪児童だったころは、チンピラどもから身を守るために喧嘩することもあった。その頃のことばっかり引き合いに出された。 対して相手の男はちゃんとした会社の勤め人じゃった。担当の国選弁護人は端からやる気はないし、そのうち嫁から離婚届けが送られてきて、もうどうでもよくなった。 どうせ元々、天涯孤独じゃ。こいつだけは守ってやらんといかんと思っとった嫁はもうわしを要らんという。わしが前科者になっても誰も悲しまん。そう思ったんじゃ。 刑務所の中でなんも考えずに淡々と過ごしとったらいつの間にか模範囚になって仮釈放になった。でも別に嬉しくもなんとも無かった。会いたかった人がおるわけでもない。これで好きな食いもんが自由に食えるようになるぐらいしか思わんかった。 でも、流れでここの大旦那様に出会うて、わしは初めて嬉しいっちゅう気持ちを知ったんじゃ。わしの言うたことをちゃんと受け止めて信じてもらえる。自分には何の得にもならんのにわしの為に心を砕いて便宜を図ってくださる。 わしは造園の知識なんてこれっぽっちも無かったが、前任の師匠について必死で勉強した。ようやく一通りのことが出来るようになって、やっと恩返しができると思ったら、大旦那様はこう言いなさった。 『重蔵さんは働き者だね。今年も立派な花が咲いた。いつもありがとう。初めて会った時も嘘のない澄んだ目だったけど、今は自信に溢れ、自分の仕事に誇りをもっているのがわかる。そういう目が見たかったよ』ってな。 わしは本当にこの人に出会えてよかったと思うたよ」 僕はぐじゅぐじゅと鼻をすすりながら『重さん、よかったね』と心の中で言った。 「征治坊ちゃんは、大旦那様に(さと)いところも優しいところもよう似てらっしゃる。じゃが、しっかりされとるとは言っても、いかんせんまだ高校1年生じゃ。じゃがな、いつかはきっと分かってくださるよ。陽向の事をちゃあんと分かってくださるよ」 そう言って重さんは指が節くれだった硬い手で僕の頭を撫でた。 涙と鼻水が堰を切ったように溢れ出した。僕は声も出せずに泣き続けた。重さんが僕にティッシュのケースを渡して、隣の部屋に行ってからも涙は止まらなかった。 普段、必要最低限の言葉しか口にしない無口な老人が、自分の過去の傷まで話して僕を慰さめてくれたこと、そして全部わかっているよと伝えてくれたことを思うと、また新たな涙が流れ出るのだった。

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