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第68話
征治さんは滅多に寮から帰ってこなくなった。
お手伝いさんが「大学受験のお勉強がお忙しいらしい」って言ってたけど、きっとそうじゃない。小太郎もいないし、小太郎を殺した僕の事も見たくないのだと思う。
その証拠に、奥様の調子が悪い時は見舞いに帰って来るけど、僕に声を掛けてくれることもなければ視線が合うこともない。
僕はそれが辛くて、征治さんが家に戻った時は小屋に隠れるようにして過ごした。
それでもやっぱり僕は征治さんの姿が見たくて、小屋の窓から庭や縁側に出ている征治さんをこっそり覗いてしまうのだ。征治さんが母屋にいるときは、庭の作業をしながら部屋の窓から征治さんの姿が見えないかと窺った。
声は相変わらず出なかった。
学校で支障はないのかと問題になったけど、突然治るかもしれないし成績は絶対に落としませんと転校を拒んだ。遠い聾唖学校へ通ったりしてこれ以上慶田盛家に迷惑をかけたくなかった。
やがて征治さんは東京の大学に進学した。旦那様は征治さんが希望通りT大学に入ったことが嬉しくてたまらないようで、方々で人に自慢をしているという噂が聞こえてくる。
また勝君が荒れてしまうんじゃないかと心配したけど、もう征治さんは週末に戻ってくることもなくなったので直接衝突することはなくてほっとした。
征治さんの夏休みの帰省中、庭で作業していた僕はいつもの癖で征治さんの部屋の窓を見上げた。すると驚いたことに、窓際に征治さんがこちらを向いて立っていた。
心臓がドクンという音をたてた。
きっとすぐに目を逸らされると思ったのに、征治さんはじっとこちらを見つめたままでいる。僕もじっと征治さんを見返したまま固まって動けなくなった。コタが死んでから初めてちゃんと目があった。
僕は相変わらずちんちくりんの子供のままなのに、征治さんはもうすっかり大人みたいで別の世界の人みたいだと思ったら、涙がつうーっと零れた。この距離なら涙までは見えないだろうと思ったけど、そのうち本格的に泣きそうになってしまって、慌てて背中を向け走って小屋に逃げ帰った。
それから、度々窓越しに征治さんと目が合うようになった。相変わらず話しかけてくれはしないけど、じっとこちらを見つめている。その表情は、よく読めなかった。笑顔ではない。でもあまり怒りを感じないのは僕がそう望んでいるからだろうか。
もしかしたら・・・征治さんは少しずつ怒りが収まってきている?もっと時間が経てば、そのうち僕の事を許してくれるのだろうか。待っていれば、いつかまた僕に声を掛けてくれるのだろうか。
バカな僕はそんな夢を見た。
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