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第70話
高校3年になって、勝君が幾度となく僕の進路を聞くようになった。僕は勿論、卒業したら働くつもりだった。もうこれ以上慶田盛家のお世話になるわけにはいかない。ただ、僕のように口がきけないのは障害者にあたるんだろうな、普通の就職は大変だろうなと思っていた。
まだ征治さんとうまくいっていた頃は、もっと子供だった頃もあり、僕は漠然とこの家の使用人になりたいと思っていた。征治さんは松平の跡取りで旦那様の会社も継がなくちゃいけないし、お嫁さんを貰ってずっとここで暮らしていくんだろうと思っていたから、傍にいられる一番いい方法だと思ったのだ。
でも、今となってはきっと征治さんがそんなこと認めるはずはないと分かる。それに早く僕がこの家を出た方が、征治さんも嫌なことを早く忘れられるに違いない。
奥様と進路の話をしていたら、旦那様の会社で口がきけなくても出来る仕事がないか聞いてくれると言った。
「会社には寮もあるはずよ。陽向君が遠くに行っちゃったら、私心配だし、なにより寂しいわ」
奥様は自分も入退院を繰り返し、体調もすぐれないのにずっと僕のことを心配してくれる。
勝君の罪を僕が被って、それがきっかけで声が出なくなったと思っているからだ。
バカな僕は奥様の親切な提案に、また夢を見てしまう。
旦那様は征治さんが大学を出たら、5年ぐらいどこかの企業で修業をさせてその後自分の跡を継がせるために会社に呼び戻すと言っていた。
もし僕が会社に入れたら、征治さんとこれからも接点を持っていられる?すぐそばにいられなくても、時々は次期社長の征治さんを見ることができるかもしれない。もし、僕がものすごく仕事を頑張ったら間接的にでも征治さんの役に立てるかな。
征治さんの為に早く家を出なければと思っていた自分と矛盾しているのはわかっていたけど、それぐらいの距離なら許されるんじゃないかと思ってしまう。それに、征治さんが旦那様の会社に戻って来るのは7年以上先になる。その頃には、もう征治さんは僕の事を許してくれているかもしれない。もし、ダメだったら・・・その時、会社を去ればいいんじゃないか?
そんなことを考えているうちに、旦那様が経理ならできるのじゃないかと言ってくれた。僕が簿記2級を取っていたことも役に立ったようだ。
勝君は僕の答えを知ると、しばらく考えた後、
「まあ、とりあえずはいいか」
と呟いた。
僕はこの頃になって、ようやく勝君の事が分かってきた。
勝君は口にはしないけど、多分僕の事を好きなのだ。恋愛的な意味で。
僕をずっと振り回し続けたのは勝君の独占欲で、征治さんに当たり散らしたのは僕が征治さんのことを好きなのがわかっていたから。あんなに脅して征治さんとの散歩を阻止しようとしていたのは、嫉妬していたんだと思う。
勝君はそういう形でしか気持ちを表現できない。あまりに不器用で、あまりに重かった。そうやってある意味一途に想われ続けても、僕は勝君に応えることはできない。
僕の心は征治さんに捕らわれたままだから。もう何年も声すらかけてくれない僕のたった一人の恋人だった人。
もしかしたら僕も勝君に劣らず不器用な人間なのかもしれない。もう一度、あの人が笑って「陽向」と呼んでくれたら、もう他にはなんにもいらないと思ってしまうのだから。
勝君は第一志望の地元の大学には合格できなかった。受かったのは仙台の大学。
僕はどこかでほっとしていた。子供の頃からずっと一緒だったからいけなかったんだ。勝君も仙台で、旦那様からも解放されてキャンパスライフを楽しめば、きっともう僕に執着する必要がなくなる。
なのに、勝君は一緒に仙台に来いと無茶を言い続ける。でも、僕はそれには応じられない。
僕は旦那様の会社に入って、この町で征治さんがいつか戻ってくる日を待つんだ。
でもそれは叶わなかった。
僕の両親の死の真相を知ったあの日。
あまりの事に頭が混乱してしまって、ただ『もうここにはいられない、すぐに出て行かなければ』それだけは分かって、身の回りの物をカバンに詰めていたら勝君に見つかってしまった。
勝君は懇願しても僕が耳を貸さないとわかると、最終手段で僕を手に入れようとした。
嫌だ、嫌だ、好きでもない人とこんな事!
最初は必死で抵抗したけど、そのうち頭の中に『僕は両親の死に深く関わっている人に今まで養われていたんだ。父さんと母さんはどんな気持ちで空から僕を見てたんだろう』とか『事情を知っていながら平然としていた旦那様もすごいし、全く気付かない僕のバカさ加減にも呆れる』なんて浮かんできて、何もかもが滑稽に思えて、なんかもうどうでもよくなってしまった。
でも、最後まで死に物狂いで抵抗すればよかったんだ。
征治さんにあの場を見られて、僕を支えていた最後の1本のロープがブチッと音を立てて切れた。
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