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第130話
ある金曜日の夕方に吉沢さんからメールが届いた。
身内に不幸が起きた同僚に代わり、土曜日からの学会にピンチヒッターで同行しなくてはならなくなった、土日に二人で食べようと思って食材を買い込んでしまっているから今晩食べに来られないか、とある。
特に用事も無かったので、訪問することにした。明日の朝からの出張だったら、今夜はベッドに誘われる心配もないだろう。
「急に悪いね。帰りが月曜の夜になると思うから、足の早い魚なんかは持たないと思って。それに週末、君に会えないからね」
『すごくいっぱい作りましたね。吉沢さん、料理のレパートリー増えてませんか?』
「うん。最近料理が楽しいよ。なにより、いつも君が残さず食べてくれるのが嬉しくて、張り切っちゃうね」
吉沢さんがにっこり笑う。僕が料理を出来なくて、いつも作らせてばかりで申し訳ないな。
たくさん頂いて、食後に二人で片づけをして、きっとこれから出張の準備もあるだろうから帰りますと言うと、吉沢さんが少し迷った後こう言った。
「相談したいことがあるんだけど、ちょっとだけいいかな?」
相談?なんだろう。
促されてソファーに座り、パソコンを膝に乗せる。
「実はね、僕、ほぼ確実に系列の病院に転勤になりそうなんだ」
びっくりした。
そもそも、吉沢さんの仕事に転勤があるとは考えたことは無かった。ずっと勤め先は同じ大学病院だったから。
『そうなんですか。転勤先の病院ってどこなんですか?』
吉沢さんは僕の目をじっと見ながら、ゆっくり答えた。
「福岡なんだ」
さっきより、もっとびっくりした。
大学病院の仕組みはさっぱりわからないけど、異動先は近隣にある分院か何かかと思っていた。まさか遠く離れた九州だなんて。
「風見君・・・無理にとは言わないけど・・・僕が転勤になったら一緒に福岡について来てくれない?」
ハッとした。
そうか。もしこれが結婚している相手なんかだったら当然そういう話になるんだ。僕たちのパートナーという位置づけもそれに準ずるものだともいえるかもしれない。
福岡・・・東京を離れる?
元々、東京には縁もゆかりも無い。仕事は・・・あすなろ出版は東京の神田にあるけど、篠田さんとのやり取りは、ネットでも十分事足りるだろう。
その筈なのに、さっきから僕の心臓はドクドクとやかましい。
吉沢さんは答えを急かさず、僕の表情を窺うように見つめている。
そうだ。
僕はもう決めたんじゃないか。この人と生きていくって。
『一緒に行きます』
僕の返事を見た吉沢さんは、目を見開いた後、少し泣きそうな顔をして僕を抱きしめた。
「今すぐに答えを出さなくてもいいんだよ。じっくり考えてみて。だけど・・・そう言ってくれて、とても嬉しいよ」
そう言うと、頬を摺り寄せ、抱きしめる腕に力をこめた。
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