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第136話

繋がっている手から動揺が伝わってしまわないか心配になる。 「責めてるんじゃないよ。人が誰かのことを好きになってしまうのはどうしようもないことだし、君が僕に対して誠実であろうとしていたことはよく分かっているから」 少し寂しげな笑みを浮かべながら続ける。 「君は自分では気が付いていないかもしれないけど・・・松平さんと再会してからの君は、まさに恋する高校生のようだったよ。 それまであまり感情を表に出さなかった君が、見せたことのない表情を次々と浮かべるようになった。週末に会う約束があるときは浮足立っているのが分かったし、会えなくなってからはとても寂しげな顔を見せるようになった。 自業自得・・・いや、バチが当たったんだな。僕は、君が松平さんに恋をしているのではないか、若しくはかつての恋心が再燃したんじゃないかと不安になって、君のスマホや引き出しを覗くという下劣極まりない行いをした。そして、引き出しの中の松平さんの手紙を見てしまって・・・ 君がこの窓からあの噴水広場を切なげな表情で見るたびに、その意味が分かって苦しかった」 吉沢さんはそう言って、俯いた。 「それが分かっていても、君を手放せなかった。君が僕に恩を感じていることに付け込んでしまった」 大きな溜息をついた後、吉沢さんは視線を窓の外へ向けた。 ここ何年も、周りの人からの僕の評価は「何を考えているか分からない人」だったと思う。元々話せないうえに、表情もリアクションも乏しいからだろう。 だからというわけではないけれど、少なくともタトゥーの一件までは吉沢さんにも上手く気持ちが隠せていると思っていた。勝君の時のような失敗を繰り返さないためにも、自分ではかなり注意をしていたつもりだった。 でも、吉沢さんは最初からお見通しだったんだな。征治さんのことを心の内で慕い続ける僕の隣で、この人はどんな気持ちでいたんだろう。 「松平さんは、君が囚われているであろう過去のことを心の中で清算させて、その後は君の前から消えることが君にとっての最善だと信じていた。 僕もそれは一理あると思ったし、私情も絡んで、ありがたくその案に乗っかった。もちろん、その後の君を僕が支えて守ってあげるつもりだった。なのに・・・ 僕は今まで、自分は理性的で忍耐強い人間だと思っていたんだよ。仕事柄、感情をコントロールする(すべ)を知っているし、性的マイノリティーであることから実生活でもそれをずっと強いられてきたからね。 ところが、大事に見守ってきた君が松平さんに奪われるかもしれないと感じた日からの僕の見苦しさと言ったら・・・ 君を風見陽向として彼に引き合わせてしまった自分を呪い、ストーカー行為をしでかし、誰にだって触れられたくない過去があるのはわかっているのに、君が刺し傷やタトゥーのことを話してくれないことに勝手に傷ついた。 そして君の気持ちを確かめるような嘘をついた。君を松平さんから物理的に遠く引き離して、二人で暮らしたいと思った。 自分がこんなに愚かで情けない人間だったと知って愕然としたよ。だけど、きっと僕は今まで本当の恋を知らなかっただけなんだろうね。 恋って、相手のことが好きであれば好きであるほど、甘美でありながらとても苦しいものなんだね」

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