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第144話
そろそろ待ち始めて1時間という頃。
ずっと見つめ続けていた駅からの道を、すらりとしたスーツ姿が角を曲がって来た。
一気に鼓動が早くなる。
征治さんは少し視線を下に落としたまま、こちらへ近づいてくる。
僕は寒さで固まりかけていた体で立ち上がった。
その動きを察知したように征治さんの視線が上がる。視界に僕の姿を認めた征治さんは、ぴたりと動きを止めた。
その顔に、わずか数秒の間に目まぐるしく様々な表情が浮かぶ。
そして、眉間に長い指先を当て少し俯くこと数秒。
すっと頭をあげたときには、その顔には綺麗な笑顔が貼り付いていた。
そう。貼り付けられていると僕は感じたのだ。この笑顔は見たことがある。
まだ、僕のことを風見陽向だと気付く前。秦野青嵐として月野珈琲店で再会したときと、公園で声を掛けられたとき。
僕のなかに言いようのない不安が広がっていく。
僕は、失敗をしたのだろうか。
いや、まだ何も説明していない。これから話を聞いてもらうのだ。そう自分を励まして、征治さんに一歩ずつ近づいていく。
「どうしたの?」
まだあと3メートルはあるかというところで声を掛けられ、僕の足は止まってしまう。
「また、何か困ったことが起こったの?」
僕は首を横に振る。
「ああ、あれかな?預かっていたもの取りに来たのかな?」
奇麗な笑顔を浮かべているこの人は本当に征治さん?
いや、征治さんには違いないんだけど・・・。
表情とは裏腹な拒絶するような気配を感じて、身が竦んでしまう。
仕事ですごく疲れているのかな?
それとも、僕がここに来てしまったことを怒っている?
笑顔の下の真意が見えなくて不安になる。
でも、あの封筒を返してもらうのはそのつもりだったで、取り敢えず頷いた。
「じゃあ、部屋に取りに行こう」
そう言うと、マンションに向かって歩き出した。僕の横を通り過ぎるときもその目はマンションの方を向いたまま。
エントランスでオートロックを解除して僕を中に促す時も微妙に視線が合わない。
エレベーターに二人きりになっても、征治さんは押しボタンの方を向いて押し黙ったままだ。密室は変な緊張感に包まれていて、息苦しさを感じる。
征治さんの横顔を見つめる僕は、さっきまで寒さに震えていたのに嫌な汗をかき始めた。
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