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第153話
富田と同じホームへ進んだ征治は我慢できずに聞いてしまった。
「秦野さんはどこかへ引っ越されるんですか?」
「いや私もちゃんとしたことは知らないんですがね。松平さんが会ってくださった吉沢君が福岡に転勤になったらしくって。吉沢君と秦野さんはセットというか、彼は秦野さんの保護者、後見人みたいな感じなんでね。一緒に向こうへ行くという話が出ているみたいですね。ネット環境のお陰で最近は地方在住の作家さんも増えました」
「そうでしたか」
なんでもないように笑顔で返事をしながらも、征治は強いショックを受けていた。
陽向が吉沢について福岡へ行く。
これは自分が望んでいた形ではないか。陽向がちゃんと吉沢とよりを戻した証拠で、元々自分はもう陽向には会うまいと思っていたのだから。
なのに、この胸の苦しさはなんだ。
俺は恋心をちゃんと陽向の幸せを願う愛に昇華できたはずだろう?
よかった、新天地でも頑張れとエールを送ってやらなければならないだろう?
少し前に山瀬から会社の近くて陽向を見掛けたと聞いた時は、また陽向に何かあったのだろうか、篠田経由でも連絡を取ったほうがいいのだろうかと悩んだが、もしかしたらこのことを陽向は伝えようとしていたのかもしれないと思った。
だが、陽向はそうはせず征治にも会わずに帰ったし、その後も連絡はない。
だがそれでよかったのだ。
もし、いきなりこの事を直接聞かされていたら、俺は狼狽えてしまったかもしれない。
咄嗟に行かないでくれと口走ってしまったかも知れない。
これで、よかったのだ。
そう何度も自分に言い聞かせた。
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