154 / 276
第154話
「はい、松平さん。今日のおやつはこれでーす」
女子社員が机の上にひよこの形をした菓子を置く。
「川俣さんの博多出張のお土産です」
「ねえ、これって東京のお土産じゃないの?東京駅で売ってるのをよく見る気がするけど」
隣の席の別の女子社員が言う。
「でもほら。博多銘菓って包み紙に書いてあるわよ?」
「福岡県がルーツの筈だよ。東京オリンピックの頃に同じ会社が東京の方でも作り始めたらしい」
「へえー、松平さん物知りー」
高校の寮生活で、夏休み明けなどに皆から渡された菓子の山。その中に博多のひよこと東京のひよこがあったのだ。それぞれ、九州と東京に旅行に行っていた寮生からの土産で、皆で面白がって調べたのだ。
「これって、頭から食べる派とお尻から食べる派に別れますよねー」
「松平さん、頭からがぶっといってください」
二人に「お願い、お願い」と乞われて、頭から食べると、
「きゃー、松平さんが肉食な感じぃ~」
「いいっ、すごくいい!」
と、きゃっきゃ、きゃっきゃと盛り上がっている。
福岡か。陽向はもう越して行ったのだろうな。
今までに出張で3度ほど訪れたことがある街並みを思い浮かべ、そこに陽向の姿を映し出してみる。
その隣には吉沢がいるはずだ。俺はあの二人を同時に見たことはないけれど、吉沢を見る陽向は微笑んでいるのだろうか。
再会してからも殆ど陽向の笑った顔は見られなかったな。小さい頃はコロコロとよく笑う子だったのに。陽向の弾けるような笑顔を見たのは・・・俺が陽向を壊してしまう前・・・
陽向、ごめん。君を笑えなくして。君の声を奪ってしまって。本当にごめん。
今は吉沢さんと笑いながら暮らせているといい。声を出す治療は向こうでも続けているのだろうか。過去と決別してしがらみのない土地で、もしかしたらもう声を取り戻している?
そうだと俺も少しは救われるのだけど。
帰り道、ずっとそんなことを考えていた。最近ようやく心が凪いできたのに、ひよこ一つでこの有り様だ。まだまだ胸の中には陽向が居座っている。
今日は早く帰れたし、さっさと寝てしまおう。そう思ってマンションへの最後の角を曲がってすぐ。
あまりにも陽向のことばかり考えていたせいで、俺は幻覚でも見ているのだろうか。
マンションの前に佇んでいるのは・・・陽向?
なぜ?どうしてここに陽向が居る?吉沢さんは?別れの挨拶?だけどどうしてそんな熱のこもった目で俺を見る?福岡へ行くのを迷っているのか?
一度に沢山の疑問が押し寄せる。だが、一番に考えなくはいけないのは、今自分が取るべき態度だ。自身の立場と立ち位置を頭の中で確認する。
俺は陽向がここに何も未練を残さず旅立てるように背中を押してやらなければ。
そう決意して、征治は得意の仮面を装着し、すっと顔を上げた。
ともだちにシェアしよう!