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第162話

「ストールは、最初の頃は首輪の痕がついていたし、首の後ろのタトゥーを隠すためです。マスクはやっぱり逃げてきたから見つかったらどうしようという不安と、会員制とはいえ倶楽部にいたギャラリーが僕のことを覚えているかもしれないという心配もあって・・・ それに僕が口がきけないとわかると、皆僕の表情から読み取ろうと覗き込むのが苦痛で、この二つがないと不安で人前に出られないようになったんです。 だから、これらも征治さんのせいじゃないんです」 征治のせいじゃないというために、陽向はこんなつらい体験を告白をしているのだろうか。 「征治さん、そんな顔しないでください。僕が今まで誰にも喋ったことのない自分の過去を話しているのは、同情してもらうためでも慰めてもらうためでもありません。このあとの、お願いを言う前に知っておいてほしかったからです」 「お願い?」 「はい。征治さん、前に僕に欲しいものは欲しいって言っていいんだって話したのを覚えていますか?」 征治は頷く。 「陽向がストーカーにまいって、俺のマンションを訪ねてきた時?」 頷いた陽向は立ち上がり、いきなり長袖のTシャツを脱いで上半身裸になった。 驚いて征治が見上げると、陽向はくるりと背を向け、首筋にかかるウェーブした髪を持ち上げた。 真っ白で滑らかな背中にそぐわない二つのしるし。 征治は無意識のうちにに立ち上がり、陽向の背中に近づいた。 首の付け根にくっきりと浮かび上がっている5センチ程のタトゥー。 エンブレムの中に凝ったデザインのSというアルファベットが描かれ、そのエンブレムの周りには精巧に描かれた鎖が幾重にも絡みついている。 そして、左脇腹には肉がいびつに盛り上がった傷痕。少し引き攣れている部分もある。 征治が見たことを確認すると、陽向はまたシャツを着て征治に向き合った。 「あと、見た目には分かりませんが・・・特殊な体験のせいか芹澤に飲まされた怪しい薬の影響か、僕は性的不能になりました。それから、味覚障害もあってあんまりよく味がわかりません。つまり、僕の体は欠陥だらけなんです」 「そんな・・・。なぜ陽向ばかりそんな辛い目にあうんだ・・・」 「欠陥だらけだし、人には言えないような過去があって穢れてしまっているし、僕は人並みな幸せなんて望めないと思い込んでいました。だから、ただひっそり静かに生きているだけでよかった。その代わり、せめて僕の書く小説の中の登場人物には幸せになってほしかった。 でも、征治さんの欲しいものは欲しいと言っていいんだという言葉を思い出して・・・僕の欲しいものはなんだろうって考えました。そして気が付いたんです。 コタの時と同じように、また僕はどうせダメだって最初から諦めてるって。本当はちゃんと欲しいものがあるのに、それを口にすることすら諦めてるって」

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