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第171話

陽向は食事を済ませておくと言っていたので、会社のビルの地下のデリで買ってきた総菜をひとりでつまみながら、味覚障害について尋ねてみる。 「全く味が分からないわけじゃないし、変な味に感じるわけでもないんだけど・・・。検査をしたわけじゃないからあくまで僕の感覚で言うと、甘みと塩気を感じるのがすごく弱くて、ある種の苦みと酸味を強く感じている気がする、かな」 群馬の工場の昼食は近くの弁当センターから毎日届けられるものだった。つまり全員が同じものを食べていたわけだ。 陽向は一人で休憩室の端っこで食べながら、連日変わった味付けだなと思っていた。だが、周りを観察していても誰もそんなことは言っていない。そしてある日大好きだったピーマンを使った炒め物が入っていたのだが、口に入れたとたんその苦さに驚いた。慌てて周りを見回しても誰一人苦いなどと言っていないことで、やっぱり自分の味覚がおかしいと分かったのだという。 「もしかしたら、もっと前からおかしかったのかもしれないけど、体調もずっと悪かったし逃げるときも必死だったから、群馬の工場に落ち着いてようやく味覚について意識がいったのかも」 「そっか。医者には行ったの?」 陽向は首を横に振る。 「本屋に行って、色々立ち読みしてみたら、大抵原因は亜鉛不足かストレスか薬の副作用と書いてあって。取り敢えず亜鉛のサプリメントを買って3カ月ぐらい飲んでみたけど何も変化は感じられなくて。薬とストレスは思い当たることがありすぎて、それを打ち明けるのが嫌で医者には足が向かわなかった」 「それじゃ、食事をするのがずっと辛かったんじゃない?」 「辛くはなかったけど、美味しく感じないから食べ物に対する興味が無くなって空腹を満たすためだけの最低限の食事をするようになったら、すごく痩せちゃって。 自分では特に気にしていなかったんだけど、工場長さんがどこか悪いんじゃないかってもの凄く心配するし、スタミナ切れで仕事がきつく感じるときもあったから、それからは無理にでも食べるように努力して・・・。お腹が空くように朝のランニングを習慣にして、家では自分が美味しく感じるところまで甘みと塩気を多くして作って食べたり」

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