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第183話

マンションに戻る前に公園を一回りして行くことにした。 いつも征治が読書をしているベンチに腰掛け、陽向は吉沢とのことを話した。 「やっぱり吉沢さんはとてもいい人だったんだね」 「征治さんがそう言ってくれると嬉しい。吉沢さんは本当にいい人で兄さんのように感じてた。だけど感謝の気持ちだけではどうにもならなかったんだ。それが以前の僕にはわからなかった。それに何よりも・・・僕は征治さんに再会してしまったから」 「うん。もう一度陽向に会えて、本当に良かった」 征治がそっと陽向の手を握る。 「それから、彼が陽向を福岡に連れて行ってしまわなくて・・・」 突然、征治は陽向の腕を引いて立ち上がった。 「陽向・・・部屋に戻ろう」 驚く陽向を促しながらマンションまでのほんの数ブロックを足早に進む。 玄関で靴を脱ぐもそこそこに、陽向の手を引いてリビングに引っ張り込んだ。 どこか切羽詰まった様子に、どうしたの?もう時間だから?と問おうとする陽向を、征治は強く抱きしめた。 「陽向・・・陽向・・・」 名前を呼びながら、ぎゅうと抱きしめる。 「っ、征治さん、どうしたの?」 「・・・俺はずっと、陽向は吉沢さんについて福岡へ行ってしまったと思っていたんだ・・・最後は自分でそう仕向けたはずなのに・・・その後の喪失感は耐え難かった。 夕べからの幸せな時間は、いつも見ていた夢なんじゃないかって・・・ 目の前の陽向は現実(ほんもの)だよね?」 「うん」 「それに、もし本当に陽向が福岡に行ってしまっていたらと・・・それを想像したらたまらなくなった」 征治は陽向の存在を確かめるように頬ずりをする。 「そんなに征治さんに想ってもらってたなんて・・・嬉しいな・・・僕は・・・幸せ者だね」 いつも二つの年齢差以上に落ち着きと包容力を感じている征治の甘えるような行動に、陽向は愛しさを感じ征治を優しく抱き返した。 征治は空虚を胸に抱いていたあの日々を思い出す。今の満ち足りた世界からあそこへ戻るのは考えるだけでも辛い。 「陽向。もう離さないよ」 「うん・・・僕も離れない」 その言葉に安心したかのように征治の強い拘束は緩み、甘い抱擁に変わっていく。 征治の手が陽向の頭を撫で、髪を指に絡めて遊ぶ。陽向は征治の匂いを胸いっぱい吸って満足気な息を吐く。時々互いの額を擦り合わせては二人でクスクス笑う。 「陽向の髪が好きだな。細くてツルツルしてて、毛先がくるんって。長さもあるからモデルみたいだ」 「そんな・・・いっつも適当に自分で切ってるのに」 「え、これ、自分で切ってるの!?すごいね」 そう言ってしまってからハッとした。 「もしかして、タトゥーを見られたくないから?」 「そう。適当に切ってもくせ毛のおかげでなんとなく纏まるから誤魔化せて助かってる」 「そっか」 タトゥーについては、そのうちゆっくり陽向の考えを聞いてみたいと思っている。だけど、今はもう少しこの甘い空気に酔っていたい。

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