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第188話

征治のハードスケジュールも峠を越した次の週末は、陽向に急な仕事が入ってしまった。 ある雑誌の連載に穴を開けた他の作家の代わりに短編を書いてくれとあすなろ出版に泣きつかれたのだ。 ビデオ通話でそう報告する陽向は、一緒に週末を過ごせないことを申し訳ないと謝りながら、本人も分かりやすくがっかりしている。そんなに俺に会いたかったの?と沸々と喜びが湧いてくる。 「ごめんね。僕の気が弱くて断るのが苦手だってばれちゃってるせいで、時々こんなことになっちゃうんだ。でも、いつもあすなろ出版さんにはとってもお世話になってるから・・・」 気が弱いというよりも、お人好しで律義者だと思われてるのではないかと思う。 「いいよいいよ。むしろ、他の雑誌の読者に名前を売るチャンスだと思って、どんどん書きなよ。青嵐先生、応援してるよ」 そう言って通話を終えたものの、きっと陽向は売れっ子作家になりたいなどとは考えていないのだろうと思う。 長い間口がきけず、陥った人間不信からくる一種の対人恐怖症だった陽向の唯一の感情の出口が小説だったのではないだろうか。 それでも陽向の本が売れるなり、評価されるなりすることは、陽向の自信に繋がると征治は思うのだ。 土曜の夜に連絡を入れ、原稿の進捗状況を聞いてみた。 途端に陽向はしょんぼりとした顔をする。 「月曜の朝一番に欲しいって言われてたから、なんとか今日中に仕上げてしまおうと思ってたんだけど・・・やっぱりちょっと無理みたい。図書館に行って確認したいこともでてきちゃったし」 「陽向、無理をしなくても俺たちにはこれからいくらでも時間があるよ」 先週、陽向に言われた言葉を返してやると 「そうだよね。だけど、やっぱり会えたらいいなあって思ったから・・・」 ごにょごにょと語尾を誤魔化しながら恥ずかしそうにしている。 ああ、可愛いなあ。 その時、征治の頭にちょっとした閃きが浮かんだ。 翌日、陽向の駅の近くの図書館で陽向が欲しがっていた資料を借りてから、陽向の部屋に向かった。 「ごめんね、征治さんにアシスタントさんみたいなことさせて。すごく重かったでしょ?」 しきりに恐縮する陽向に言う。 「俺が言い出したことだよ?青嵐先生には頑張っていただかないとね。だけど、その前に1週間ぶりのハグをしてもいい?」 はにかみながら頷く陽向を抱きしめる。すぐに陽向の腕も征治の背に回ってきた。 ビデオ通話も電話よりはずっといいが、やっぱり実物はその何倍もいい。そんな当たり前のことを考えていると、 「会えて凄く嬉しい」 耳元で小さな声で囁かれ、体の中にゾクリとした感覚が生まれる。ああ、キスが、甘いキスがしたいと思ってしまった。 駄目だ駄目だ、俺は陽向の仕事のサポートに来たんだぞ、と自分を戒める。 それに、陽向はそんな気はなしに言ったのだと分かっている。 昔からそうなのだ。陽向の何気ない言葉や仕草や眼差しに勝手にやられては、夜な夜な一人で熱い昂りを鎮めていたティーンエイジャーの頃を思い出し、慌てて陽向を資料と共にデスクへ追いやった。

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