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第226話
ほんの少し先延ばしに出来ると思った陽向の予測は外れた。
風呂場で解されるか、場合によっては最後までされるかと思っていたが、芹澤は陽向の頭から足の指の間まで丁寧に洗い上げただけだった。傷口にまだ貼っているガーゼの上の防水テープにも気を遣っている。
芹澤はおそらく40代前半だと思われるが、初めてみたその体は浅黒く筋肉質で毛深く、立派な一物を持っている。
あれを入れられるのはかなりの負担になる。まさかいきなり入れたりしないよな?そんなことをしたら裂傷は免れない。前のペットは女だったんじゃないだろうな。
一人でそんな心配をしていたのに、陽向の体をタオルで丁寧に拭き上げた男はベッドに連れ込むと「腕枕をしてやる」と言う。
訳が分からず、言われるままにすると、満足そうに鼻を鳴らし、陽向の胸を撫で始めた。
やがてその手が動きを止め、隣から寝息が聞こえてきて、ホッとした以上に驚いた。
もしかしたら、本当に愛玩目的なのだろうか?
だとしたら、首輪をはめられペットとしてこの部屋に閉じ込められるのは苦痛ではあるが、店で不特定多数の客を取り続けるよりはずっとましだ。
この2週間のように芹澤が接してくれるのなら、好きになれずともいつかはそれなりの情が湧いてくるかもしれない。
その時は、この男の歪さも知らず、そう思ったのだ。
翌日は芹澤が大きなバッグを抱えた男を伴って部屋にやって来た。
「とびきり、可愛くしてやってくれ」
という芹澤に応え、つかつかと寄って来た男は陽向の髪を掴んで何か確かめている。
陽向はその美容師によって慶田盛の家を飛び出してから伸びっ放しにしていた髪に、カットとカラーリングを施された。
バスルームでシャンプーをされて出てくると、耳に激しい罵声が飛び込んできた。
リビングのソファーでスマホを耳に当てた芹澤が怒鳴り散らしている。
陽向が初めて聞く芹澤の暴力的な言葉の数々だった。そのうち激昂した芹澤がバンとテーブルを掌で叩き、上に載っていたノートパソコンがガタンと跳ねた。
「次、こんなふざけた報告してきやがったら、タダで済むと思うなよ」
ドスの効いた声で凄む様は、慶田盛家で旦那様を恐喝していたやくざを思い起こさせた。
何も聞こえていないふりをしていた美容師がドライヤーで陽向の髪を乾かし始めると、その音で芹澤はやっとこちらに人がいることに気付いたように振り返った。
「おお、いいじゃないか」
相好を崩して歩み寄って来る。
スタイリング剤を使って仕上げらえた陽向を見て、美容師も芹澤も満足気な表情だ。
美容師を帰し、ソファーに座った芹澤が膝の上に向かい合って座れというのでその通りにする。
「ブラン、お前は最高だ。まるで天使じゃないか。ああ、倶楽部へ行くのが楽しみだ」
そう言って、頬を撫でると、美容師がいる間外されていた首輪を取り出し、陽向の首に取り付けた。ガチャリと鍵を掛ける音に、ああ僕はトリミングが終わった犬なんだと改めて思い知らされる。
その時芹澤の胸ポケットでスマホが振動し始めた。取り出し、画面を見た芹澤はチッと野卑た舌打ちをし、「仕事で出なきゃならん」と部屋を出ていった。
陽向は長い間ソファーで膝を抱えて蹲っていた。
さっきの芹澤の罵声から分かったこと。
あの男は、多分金貸しだ。それも法外な利息をむしり取るヤミ金。
昼間にも不定期にふらりとこの部屋へやって来るので、勤め人ではないと思っていたが・・・。そもそも真っ当な奴が、あの事務所に出入りしているはずがなかった。
陽向が世間からドロップアウトしたのは、借金が原因だ。
重く冷たい石が、陽向の胸の中に沈んでいた。
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