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第237話
穴が開けられたら。両肩がくぐれるぐらい開けられれば大丈夫かな。
でも、途中で引っ掛かっちゃうようだと怖い時間が長くて嫌かな。やっぱり一気に飛び降りないと。何かの本で、高いところから飛び降りると下に着くまでに気を失ってしまうって読んだことがあるから、そういうのがいいんだけど。
くまのプーさんみたいに途中で引っ掛かって動けなくなるのは間抜けすぎるよな。
そんな自分の姿を想像するとなんだか可笑しくなってきた。
そうだ、飛び降りる前にちゃんと下を確認して、人を巻き込まないように気を付けないと。
ああ、それでも片付ける人には申し訳ないなあ。嫌な仕事を増やしてごめんなさい。
警察が来てこの窓を調べれば、僕が自分で飛び降りたって分るよな?さすがに芹澤が殺人犯にされるのは可哀そうだ。まあ、それでも僕の借金を肩代わりしてペットとして買い取ったのに詐欺だって怒るかも知れないけど。
少しずつ大きくなってきた穴を広げる作業に夢中になっていたら、いきなり首輪を掴んで後ろに引きずられ、床に倒された。
ケホケホと咳き込む陽向の頭上から「なにやってんだ!」と芹澤の怒声が落ちてきた。監視カメラのモニターを見て帰って来たのかもしれない。
「お前、ガラス破って・・・何するつもりだったんだ」
芹澤の目が吊り上がっている。
「何が気に入らねえんだ!そこらの貧乏人よりよっぽどいい生活させてやってんじゃねえか!構ってやってんじゃねえか!」
叫んでいるうちに怒りが増してきたのか、芹澤の顔に血が上っていく。
「こんな悪さをするなら躾が必要だな」
そう言うと、芹澤は首輪の鍵を出し外したかと思ったら、手でベルトをきつく締めあげてきた。
今までにも素直に言うことを聞かなかったりすると怒った芹澤に首輪の穴を一つきつくされたことは何度かあった。
だが、今は芹澤も興奮しているのだろう、手でどんどん締め上げてくる。首が圧迫され息が苦しい。そのうち息を吸おうとしてもヒューヒューという音を立てるばかりで十分な酸素が入ってこなくなった。
ああ、このまま我を忘れて締め上げてくれれば、殺してもらえるかも。その方が手間が省けるな。手足の力を抜き、目を閉じた。
コタ、もうすぐ行くよ。僕が迷わないように、迎えに来て。
「ブラン、おいっ。ブラン!」
これは空耳だ、僕はもう目覚めなくていいはずだと思うのに、頬をはたかれる感覚がだんだんとリアルに感じられるようになり、また駄目だったとがっかりする。
薄っすら目を開けると、僕を抱きかかえた芹澤が泣きそうな顔をして覗き込んでいた。
「なあ、ブラン。どうしたら最初の頃の様に戻れるんだ。お前は俺の腕の中で大人しくちんまり可愛くて、繰り出したパーティーでは注目の的になって俺達楽しくやってたじゃないか。俺はあの頃に戻りたいだけなんだ」
・・・楽しい?
楽しかった記憶なんて、もうあまりに遠すぎて・・・
父さんも母さんも生きていて、毎日征治さんや勝君たちとお屋敷や河原なんかで鬼ごっこや幸せ探し遊びをして・・・
『帰りたい』
あの頃に帰りたい。
芹澤が目を丸くして、こちらを、口元を見た。
「ブラン・・・もしかして、昔は話せたのか?今、話すみたいに唇が動いたぞ?」
話せたよ。僕が話せなくなったのは・・・
血だらけで横たわるコタの姿と僕の肩を掴む征治さんの強張った顔が脳内で再現された途端、あの時の様に呼吸の仕方が分からなくなり、僕はまた同じように意識を失った。
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