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第26話

結局、電話が鳴ることは無く、一つの布団で抱き合うようにして眠っていた二人は、部屋の呼び鈴の音で同時に飛び起きた。 「征治坊ちゃん、私です。森本の若先生も一緒です」 慶田盛家の住み込みのお手伝いさんの声を確認してドアを開けた。朝の6時になっていた。 お手伝いさんが陽向に朝ごはんの用意をしている間に、征治は若先生に話を聞こうと部屋の隅に移動した。 森本は松平家の資産管理等を任されている付き合いの長い弁護士事務所の弁護士で、60代の大先生と30代の息子の若先生と呼び分けられている。きっと祖父が、懇意にしている森本先生に力になってやってくれと口をきいたのだろう。 若先生は、昨夜から何も状況が変わっていないと言った。征治もこちらには何も連絡がなかったこと、陽向が母親が夜帰ってこなかったことは一度もないと言っていたことなどを伝えると、二人の間に沈痛な空気が流れた。 「わかりました。じゃあ、征治君は家に帰って学校へ行く準備をしてください。後は僕が引き継ぎます。近所の駐在さんは奥様の依頼にすぐに動いてくれましたが、警察に正式な捜索を依頼するとなると色々手続きも必要です。普段取り立てて問題のない大人の行方不明者は届けを出しても何か事件が起きない限り積極的には探してもらえません」 征治はびっくりした。明らかに異常事態なのに? 「ですから、こちらから明らかに不自然で事件か事故に巻き込まれた可能性があるとアピールしなければなりません」 そう言われ、征治はここから先は自分では何も役に立てないのだと理解した。気持ちの上ではずっと陽向についていてやりたいけれど・・・。 征治は陽向に若先生を紹介して、自分はこれから学校へ行くが代わりに頼りになる弁護士の先生が付いていてくれると言った。 途端に陽向は不安そうな顔になり、征治の腕に縋りついて小さい子がイヤイヤをするように首を振った。 「大丈夫だよ、陽向。先生は僕よりずっと頼りになるし、僕も今日は部活を休んですぐに帰って来るから、ね?」 征治は膝を曲げ陽向の目の高さに合わせて顔を覗き込みながらそう言った。 お手伝いさんにも「そうですよ、私たちもついてますよ」と言われ、しぶしぶ手を離す陽向が本当に頼りなげで後ろ髪を引かれる思いだった。 結局、学校に行っても授業は上の空で、終業のベルと共に飛び出して、家路を急いだ。中学の最寄りの公衆電話から家に掛け、陽向は慶田盛家に連れてこられていると聞いていた。 家に駆け込むと、居間のソファーに青い顔をした陽向がちょこんと座っていた。その横には弟の勝(マサル)、向かいには祖父が座っている。 陽向は征治の顔を見ると何ともいえない表情をした。征治はたまらず陽向の傍へ行き、ただいまと言いながらその小さな頭を撫でた。陽向の手が伸びて、征治のシャツをそっと握る。 そのままの格好で征治は祖父の顔を見た。状況が知りたかった。祖父はすぐにその意図を汲み取り、説明を始めた。 陽向の母からはまだ何の連絡もなく、会社にも出勤していないこと。 若先生が陽向を連れて警察署へ赴き、捜索願を出したこと。それも一般家出人という扱いではなく、特異家出人という警察がちゃんと捜索に動いてくれる扱いになるように尽力してくれたこと。 その際、酢豚の話が効果があったらしいことなどを聞く。 陽向の母親は材料を全部そろえ、しかし油で揚げるのは勿論、油の鍋に火をかけるのも自分が帰って来るまで絶対やらないで待っていてと何度も陽向に念押ししていたのだ。 陽向の家には陽向は慶田盛家で預かっていると書き置きをし、風見家の電話は若先生の携帯に転送されるように設定してもらったそうだ。 しかし、結局事態は何一つ好転しておらず、むしろ行方が分からない時間が長引けばおのずと悪い知らせが届く確率が高くなってくるのだ。陽向の心配と不安を思うと胸が痛くなる。 征治は優しい声で陽向に話しかけた。 「陽向、今日は小太郎の散歩には行けないから、少し庭で遊んでやろう」 そうして、弟に目配せをする。 勝は無言で立ち上がり、陽向の腕を引っ張り縁側の方へ連れて行く。陽向は人形のようにおとなしくついて行った。後をついて行きながら征治が祖父の方を振り返ると、それでよいという様に頷くのが見えた。 いつもはそれぞれ自分の部屋で寝ている征治と勝も、その夜は客間に3組の布団を川の字のように並べて敷き、陽向を真ん中に挟んで早めに横になった。 いつもはお喋りな陽向が今日は全く口を開かなかった。今も消灯してお休みと言い合った後の客間は誰も口をきかず、しんとしている。 しかし、暫くしてスンスンという音が隣から聞こえてきた。陽向が泣いているのだ。今日一日泣かずに堪えてきたが、限界に来たのだろう。 征治は上半身を起こした。反対側で弟も同じように体を起こす。陽向は泣いているのを見られたくないのか、布団を頭まですっぽりと被ってしまった。 「陽向、陽向。大丈夫だよ。僕たちがついてるよ」 征治は布団の上から安心させるようにぽんぽんと優しく叩く。勝も同じように「僕たちがいるよ」と話しかけた。 征治は頭の横で布団を引っ張り上げている陽向の片手を取り、自分の手と繋ぐ。勝も反対側で真似をする。布団の中で、嗚咽が激しくなったが、征治が空いている方の手でぽんぽんを続けていると少しずつ落ち着いてきた。そして、中から「ありがと」というくぐもった声が聞こえた。 その夜、三人はずっと手を繋いだまま眠った。

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