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看病ナース

バイトが終わってスマホをチェックすると、先輩からメッセージが入っていた。 今日はバイトが終わったら遊びに行く約束をしていたので、また何か買い物でも頼まれるのかなと何気なくメッセージを確認した僕は、思わず「えっ」と声を上げてしまった。 『わるい、かぜひいた。スポドリとぷりんたのむ』 ほとんど変換されていない短いメッセージから察するに、先輩はよっぽど体調が悪いらしい。 反射的に『すぐ行きます!』と返信しかけて、もしかしたら先輩は寝ているかもしれないと気付いてやめる。 とにかく先輩の部屋に向かおうと、僕は大急ぎで着替えてバイト先を出た。 途中でコンビニに寄って、メールで頼まれたスポーツドリンクとプリン、それから一人鍋用のカット野菜とレトルトのご飯を買った。 先輩のアパートの駐輪場に自転車を停め、少し前にもらった合鍵で先輩の部屋に入る。 「せんぱーい、起きてますかー」 小さい声で呼びかけると、奥の部屋から「おう」と弱々しい声が聞こえた。 キッチンの流しのカゴからコップを一つつかんでそちらに向かうと、先輩はベッドで布団にくるまっていた。 「大丈夫ですか?」 「大丈夫じゃない……もう死ぬ……」 そんな大げさなと思うが、実際先輩の声に力はなく、顔も赤くて熱が高そうだ。 「高橋……死ぬ前にお前に頼みが……」 「ちょ、先輩そんな縁起でもないこと言わないでくださいよ!」 僕の至極当然なツッコミをスルーして、先輩は弱々しい声で続けた。 「俺の最後の頼みだ……頼む、高橋……その服を着てくれ……」 先輩が震える指で指した机の上を見ると、そこにはものすごく見覚えのある、ピンクのナース服が置かれていて、僕はげんなりしてしまった。 「……そんな元気があるなら、看病とかしなくて大丈夫ですね。  今日は僕、帰りますから、先輩はゆっくり寝てください」 「ううう……高橋、待ってくれ……」 僕はいったんは先輩にくるりと背を向けたものの、僕を呼び止める先輩の声が、ただの演技というにはあまりにもつらそうで、思わず再度振り返ってしまった。 「頼む……その服を……」 まだ言う?!と思いつつ、反射的にナース服の方を見てしまった僕は、そのナース服の上に、使い捨てのマスクが置いてあることに気付いてしまった。 え、マスクって……。 もしかして、単純にナースコスで看病して欲しいとかじゃなくて、先輩の風邪が僕にうつらないように、マスクをしても不自然じゃないナースコスなの? けどそれなら、普通にマスクしろって言ってくれたらいいだけなんじゃ……。 本当にもうこの人は、変態か優しいか、どっちかにして欲しいと思う。 けどなんだかんだ言って、そんな変態で優しい先輩に惚れきっている僕は、先輩の優しさを受け取る代わりに、先輩の変態性も一緒に受け入れる気になってしまった。 「もう……特別ですからね。  その代わり死なないでくださいよ」 「ああ」 先輩の答えは短くてそっけなかったが、その顔はものすごくうれしそうだった。 僕はなんだか気恥ずかしくて、色気も素っ気もなくバッと脱いでサッと着替えた。 さすがに色々と出す気力はなかったのか、今日はウイッグも白タイツ風靴下も出ていなかったので、僕はそのままナース帽をかぶり、マスクをつける。 「起きられますか?」 コップに買って来たスポーツドリンクをつぎながら声をかけると、先輩は「ああ」と言いながら体を起こした。 ちょっとふらついているようなので、背中を支えながらコップを手渡すと、先輩はゆっくりとスポーツドリンクを飲んだ。 「あー……うまい」 「プリンも買って来ましたけど、先輩、飯食ってませんよね?  食べられそうなら雑炊作りますけど」 「ああ、食いたい。頼む」 「じゃあ、プリンはとりあえず冷蔵庫入れときます」 先輩と話しながら空になったコップを受け取って再び先輩をベッドに寝かせると、僕は雑炊を作る前に、先輩が修羅場の徹夜用に常備している、おでこに貼るタイプの冷却剤を棚から出した。 「まったくもう……。  ナース服出す元気があったら、冷却剤くらい貼ってくださいよ」 「うん」 ナースコスではあるがプレイではないから、僕は普段通りの話し方をしている。 むしろちょっとだけ怒っているから、普段よりもぞんざいなくらいだ。 それでも先輩は嬉しいらしくて、素直に僕の言うことにうなずいている。 「雑炊作ってきますね」 「ん」 不本意だけど、僕のこの姿を見せておいた方が先輩は元気になるんだろうなと思って、キッチンに続くドアは開けておくことにした。 冷蔵庫を開けてプリンをしまって、ついでに先輩の朝食の目玉焼き用の玉子を一つ取り出す。 鍋に水とカット野菜とレトルトご飯を入れてぐつぐつ煮て、和風だしの素と醤油で味付けして溶き卵を入れると、あっという間に手抜き雑炊が出来上がった。 「お待たせしました」 雑炊の入った鍋と箸とお椀を持ってベッドのそばに行くと、先輩は自力で体を起こした。 そのへんにあったマンガ雑誌を鍋敷きにして雑炊をよそい、先輩にお椀を渡したが、先輩はそれを受け取らず、代わりに口を大きく開けて、何かを要求するようなまなざしで僕を見た。 これはもしかして、『あーん』の催促……。 う、うーん、それで先輩が元気になってくれるなら別にやってもいいけど……。 だが、しかし。 「……先輩、箸で『あーん』はできません」 「……あー……」 「ここ、レンゲとかありませんよね。  カレースプーンだと、雑炊食べるの結構難しいと思います。  それともお玉であーんしますか?」 僕の言葉に、先輩はがっくりとうなだれた。 そして僕が差し出したお椀と箸を受け取って、自分でふーふーして雑炊を食べ始めた。 先輩が食べているうちにと、僕は先輩が薬を入れている箱から風邪薬を探す。 「高橋が冷たい……」 「冷たくありません」 いや、うそ。 ほんとはちょっと冷たい。 風邪で弱っている先輩に優しくしたいのに、自分の体のことよりもナース服を優先する先輩に、僕はまだちょっとだけ怒っている。 「そうだな、冷たくないよな。  雑炊うまいし」 「……超手抜き雑炊ですけどね」 「けど高橋が作ってくれたからうまい」 「……っ……」 やっぱり僕は先輩に弱いし、先輩に甘過ぎると思う。 そんな簡単な言葉ですぐに怒りが消えてしまうくらい、やっぱり僕は先輩のことが好きなのだ。 先輩は僕が作った手抜き雑炊を完食した。 熱は高そうだけど、食欲があるのなら薬を飲んで一晩寝ればだいぶよくなるだろう。 僕は鍋とお椀と箸を流しで水につけると、今度はプリンとスプーンと水を持って行く。 蓋をあけたプリンとスプーンを先輩に渡しかけて、僕はふと動きを止めた。 プリンを受け取ろうと伸ばされた先輩の手を無視して、僕はスプーンでプリンを一口すくうと、それを先輩の口元へと持って行った。 「あ、あーん……」 照れくさくて真っ赤になっている僕を、先輩が驚いたように見る。 けれどもそれも一瞬のことで、先輩はすぐに大きく口をあけてくれる。 その口の中に、僕はスプーンですくったプリンをそっと入れる。 先輩がそれをぱくっと食べたのを確認して、スプーンをそっと引いた。 なにこれ、恥ずかしい。 先輩とはもっともっと恥ずかしいことを何回もしているのに、いや、だからこそというべきか、こんな初々しい甘ったるい行為が恥ずかしくてたまらない。 「うん、うまい」 「……そ、そうですか、よかったですね」 「うん、もっと食いたい」 僕が照れまくっているのを知ってか知らずか、先輩は機嫌よさそうに催促してくる。 結局僕は、プリン丸々一個を先輩にあーんで食べさせるはめになってしまった。 プリンを食べさせた後、先輩に風邪薬を飲ませてから、キッチンでさっきの鍋と食器を洗った。 「先輩、他に何か欲しいものとかして欲しいことありますか?」 戻って先輩にそう聞くと、先輩は薬が効いてきたのか眠そうな声で答えた。 「いや、もういいよ。  高橋、お前そろそろ帰れ」 「え? いえ、今日は泊まりますよ。  先輩のこと、心配だし」 「いいから帰れって。  帰らないとナース服の上から猫耳猫尻尾つけさせるぞ」 「ええー、そんな横暴な……」 あいかわらず横暴な先輩だが、それだけではないことを僕はちゃんと知っている。 要するに先輩は、僕に風邪をうつしたくないから、僕を帰らせたいのだろう。 「わかりました、今日は帰りますね。  明日の朝、授業前に寄りますから」 「おう、ありがとな」 そうして僕は、ナース服から元の服に着替えた。 結局このナース服に意味があったのかどうか微妙だが、たぶん先輩的にはすごく意味があったのだと思いたい。 「それじゃあ、お大事に」 「ああ、おやすみ」 本当はマスクを取って、おやすみのキスをしてから帰りたいところだが、それではせっかくの先輩の思いやりを無視することになってしまうので、それは先輩の風邪が治ってからのお楽しみにとっておくことにする。 先輩の布団を直してから、僕は自分で鍵を掛けて先輩の部屋を出た。 自転車で帰り道を急ぎながら僕は、僕まで風邪をひいてしまわないように、帰ったら手洗いうがいをして早めに寝ようなどと考えていた。 ーーーーーーーー 翌朝、自分の部屋で朝ご飯の下ごしらえをしてから、少し早めに先輩の部屋に向かった。 「おはよう、高橋」 合鍵を使って部屋に入ると、ナース服を持った先輩が待ち構えていた。 「さあ、まずはこれを着てくれ。  いやー、絶対領域ナースも良かったが、生足ナースも絶品だったな。  昨日は体調悪くて味わう余裕がなくてもったいなかったけど、今日は熱もだいぶ下がったから」 ……先輩はもう、すっかり元気になったらしい。 僕としては喜ばしいことのはずなのに、何だか微妙な気分だ。 「……着ませんよ。  一コマ目から授業ありますから、着替えてる時間なんかありません」 「えー……」 「えー、じゃありません」 「……どうしてもダメ?」 そう言うと先輩は小首を傾げて上目遣いに僕を見る。 ……あざとい。 いや、あざといと言っても先輩はかっこいい系なので、そういう女子のようなかわいい仕草は全く似合わないのだが、それでも惚れた欲目とでもいうのか、僕の目から見ると先輩は十分過ぎるくらいにあざとかわいかった。 「とにかく今日はダメです。  けど、えっと、その、風邪がちゃんと治ったらまた着てあげますから、だから、早く治して下さい」 結局、僕は先輩のあざとかわいさに負けてしまった。 僕がうつむいて早口でそういうと、先輩は「よっしゃ!」とガッツポーズをした。 「わかった!  早く治す、すぐにでも治すぞ!」 「そうして下さい。  朝ご飯すぐに出来ますから、無理しないで寝てて下さいね」 「うん」 僕の言葉にうなずくと、先輩はナース服を置いておとなしくベッドに入ってくれた。 うう、また変な約束をしてしまった……。 ちょっと後悔したけれど、それで先輩が元気になってくれるならいいと思いなおし、僕は朝食を準備するためにキッチンに向かった。

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