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第7話 光長side
ここに来てから2度目の秋が来る。美味しいご飯、綺麗な着物、愛しい信義様、全てに満ち足りていた。信義様からはここを出るなと言われていたが、それでも満足だった。これ以上の幸せなどあるものか。
「光長、今日は遅くなる。先に寝ていなさい」
「はい」
いつも通り遠ざかる背中に行かないでと手を伸ばすが、空に浮いた腕をゆっくり下ろす。私に我儘など身分不相応すぎるか。
今日ももらった着物をはおり、少しだけ庭に出る。庭には綺麗な紫色の花が満開に咲いて辺りを埋め尽くしている。その中で一人クルクルと体を回しては、飛び交う蜻蛉を追いかけた。
周りをあまり見なかったものだから、少し遠くに出てしまったことに気付かなかった。
「あら?あなたは誰?」
突然聞こえた声に体が震える。声のした方を向くと、優しい顔をした綺麗な女の人がいる。しまったと思った時には既に遅く、その人の瞳の奥にはには疑惑の念が濃く張り付いていた。暫く見つめあっていると、白い顔が青白く変わる。
「何故、あなたがここにいるのですか」
「あ、ま、迷い、こんでしまって」
「嘘おっしゃい。私に復讐しに来たのでしょう?殺しに来たのでしょう?」
信義様といることが知られてはいけない一心で、迷い込んだと言ったのに、彼女は訳の分からないことを言いながら髪を掻き毟る。それから恐ろしい形相で私に詰め寄ると、腕を強く掴んだ。
「あなたは私が産んだもの。自分で自分の子供くらいわかるわ」
「・・・え?」
「双子だったのよ、不吉だったから、あの方に嫌われたくなくて!」
衝撃的な事実が重くのしかかり、頭を鈍器で殴られたかのように痛い。この人が私の母?双子という理由で私は幾年も辛い日々を送っていたの?
「信義・・・信義はどこなの・・・!!」
信義様を呼ぶ姿に、母と名乗る人物と信義様が重なる。私が一度、庭に隠れて驚かそうとした時に、信義様が私を探す姿にそっくりだった。もしかして、もう1人の双子の片割れは信義様なのだろうか。いやでも、私とは似ても似つかないほど美しい容姿だ、有り得ない。
「せっかく正妻になったのに!このことが知られたら嫌われるんだわ。」
覚束無い足取りで袂から取り出したのは、銀に煌めく鋭い刃物。向けられた刃先に小さく悲鳴が漏れるが、持った刃物で私を殺すことはなく、無気力な手が振り上げられただけでその手からそれは滑り落ちた。怖くてその刃物を拾い、一目散に逃げ出すが、手に当てると赤い雫が手のひらを伝った。
真夜中に帰ってきた信義様は、その晩初めて私を抱いた。知らない距離、耳元にかかる色っぽい息遣い。全てが燃え上がるほどに熱く、それでいて触れる手つきは蕩けるように甘い。もうこれは最後だと思った。母は信義様の名前を呼んでいたから、この方に私を殺させる気なのだ。だから、彼は私に慈悲深く最後の幸せを与えているのだと。
幸せを与え終わると、信義様から押し花というものを貰った。綺麗な紫の花、私とこの方を繋いでくれた松虫草。なのに、ペシャンコにされたその花は私達をも押し潰したように見えた。信義様は私を幸せにすると言い、悲しみに溢れ零れた涙を拾ってくれたけど、落ちて無くなる幸せを私の元に返してはくれなかった。
泥のように眠った翌日、最後ならばと信義様に外に出たいと頼んでみた。運良く仕事が休みだという彼だが、私を殺すためだということはすぐに分かる。季節が一度回る度に3度ほどしかない休みを偶然今日取れるわけがない。
何も知らない振りをしながら、私が流れていたという縁橋に向かう。ここから突き落とされてもよし、刺されて死ぬのもよし。さて、どのように死ぬのだろう。なぜか昨日ほどは恐れがなく、信義様に殺されるなら不思議とそれも幸せだと思った。談笑しながら川を見ていると、突然現れた男に川の奥深くまで絶望で突き落とされる。
信義様の名前を呼び、美しい着物を召す彼は、私を見て怪訝そうに目を細めたけど、すぐに母の元へと攫おうと信義様を急かした。
母という言葉に殺されるという言葉しか浮かばない。なぜ信義様を呼ぶのだろう。今ここで、二人きりの場で殺してはくれないのだろうか。
いつもは伸ばしかけて止める手を今日は更に伸ばす。1粒の願いが届きますようにと、優しい彼ならまた私を抱きしめてくれるのではないかと。
だけど彼は私の手を振り払い、母の元へと行った。選ばれなかった私は、暫くその場で凍りついたように動けず、彼を呼ぶ声が虚しく空気を震わせた。
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