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第35話
穴があくほど見つめるとはこういうことを言うんだろうか。
車が地下なこともあり、乗るまで然程怖がる様子も見られなかった律は、道路へと出て走り出すと眩しそうに窓の外を眺め、やがてじぃっと凝視し始めたのだった。
その姿に安心しつつ、寂しさも感じた俺は彼の名前を呼ぶ。
くるり。
振り返ったその姿は、心なしか楽しそうに見え、口元が緩む。
「……大丈夫、そうだな」
「……はい。ぼく、平気です」
「ん、良かった」
律を連れてきた時は、こんな会話が出来るようになるとは思っていなかった。
いや、心の中で願っていたことではあったけれど。
十五歳の少年らしさ――彼が空白の七年間を取り戻しているのを感じれば感じるほど"守ってやらなくては"と。
愛しさと同時にそれを強く思う。
「昴さん、あれ、なんですか」
「あれ?」
信号待ちで止まった交差点の角にあった、小さな店。
そこは、通りから作る工程が見えるように、いわゆるオープンキッチンになっている店で。
「ああやって作ってる所見せてくれてるんだ。目の前で見ると美味 そうだろ」
「今度連れてきてもらったらいいよ、律君」
ふふ、と雪藤が笑いながら告げる。
「……!ほんとですか」
「ああ。行きてえなら、連れてってやる」
「約束、ですよ?」
「ん、りょーかい」
ぽんぽん、と頭を撫でてやってしばらく。
あれはなんですか?
ああ、あれはな。
そのやりとりを数回繰り返し。
車は竹林へ進み、目的地に近づいていく。
やがてパッと開 けた通りの先。
昔ながらの重厚な門扉。
見慣れた代紋が描かれたそれは、何度見ても俺の気持ちを引き締める。
そんな俺の変化を察してか、そわそわする律の背中を軽く撫でてやった。
「……ここの奴らはお前には絶対何もしない。味方だから、安心していい」
「はい……」
返事しつつも、緊張はやはり取れないようだ。
そして。
門の前で車が停車する。
くるり、振り返った雪藤が口元だけに笑みを浮かべた。
「さて。それでは、参りましょうか律君、"若"」
スイッチを切り替えた雪藤が車を降り、素早くドアの横へと立つ。
恭 しく開けるその仕草を律はびっくりしたように見つめ、小声での「降りていいよ」という言葉で外へと出る。
続いて俺が外に降り立つと同時、重たい音を立てて門扉が開いた。
「律、こっち来い」
ぽす。
いくらか大きくなったとはいえ、まだまだ頼りないその身体を自分へとくっつけさせる。
雪藤は若頭付きらしい顔で後ろへと控えた。
完全に開ききった門から見える景色。
それは。
「おかえりなさい、若!!」
普段別宅にいるはずの奴らも含めた天立組構成員の面々がずらりと並んでいる姿だった。
当然の如く、ビクリと身体を震わせた律はそのまま固まってしまう。
(……だよなあ)
「オメーら、とりあえず全員一歩ずつ下がれ」
「ハイ!」
威勢のいい返事とともに下がる男たち。
抱き寄せた律は、緊張しているままだ。
一応、律の事情やらなにやらある程度説明し、とにかく怖がらせることはするなと言い含めてはいた、が。
性分として人を威圧するのが癖になっている彼らにとって、それは難しいことこの上ないわけで。
そりゃあそうだ。
俺だって初めの頃は、律を怯えさせてばかりいたのだから。
わかってはいたが、彼らの視線に晒される律は無意識だろう、ぎゅう、と俺の着物を掴む。
「あー……後でちゃんと紹介すっからお前らは部屋行っとけ」
しっし。
手で払う仕草をし、玄関へ向かう。
察したらしい男たちは静かに並んだまま、頭を下げた。
「……悪い律。怖かったな」
呟くように言えば、彼は首を横にふる。
「昴さんと同じ、匂いがしたから……平気です」
ちょっとは、怖かったですけど。
「……そうか」
(……少し強くなったな)
心の中で褒めてやり、笑いかけてやる。
「…………?」
「なんでもねェよ。行くぞ」
静かに後ろをついてきていた雪藤が、からりと玄関を開け、俺たちが入れば脱いだ下駄を綺麗に揃える。
「ありがとな」
す、と頭を下げる雪藤に、律は首を傾げた。
「……あの、昴さん」
「ん?なんだ」
「どうして、みやびお兄さん、しゃべらないんですか」
「……ああ」
影のような。
普段、部屋にいる時とはまるで別人のその姿は、彼に疑問を与えるには十分だったようだ。
「律……雪藤見て、怖いって思ったことあるか?」
「っ?……な、無いです」
「だからだよ。雪藤は、話してる時威圧感とかねェからな」
「……若、言い過ぎです」
気にしているんですから、やめてください。
拗ねたような声音に「悪ィ悪ィ」と笑って返す。
そんな、一瞬ではあったものの、普段の光景に律の緊張が少し弛んだようだった。
ホッとしつつ、たどりついた奥の間。
襖 の前に座し、呼吸を整える。
隣の律も深呼吸しているのを見て、声を張った。
「失礼致します。天景 昂牙、参りました」
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