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第52話

―――――― ―――― ―― 「……昴さ、くすぐったい、です……」 「…………!」 下から聞こえてきたそんな言葉に、律の肩に置いていた手を反射的に浮かせた。 けれど、どうやらただの寝言だったようで次の反応があるわけで無く、また気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。 しかし。 「あの、すば……いえ、若」 昂牙さんの顔になってます、と。 端的(たんてき)なそれは、しかし一言で俺の不機嫌さを的確に表していた。 「あー…………」 深く、ため息のごとく息を吐き出す。 「さっきまでは喜んでませんでした?」 「まあ、な」 そりゃあ、律の夢の中に俺がいるのだ。 嬉しくないわけがない。 けれど、なんというか。 「なんつーか……夢ン中で自分が悪さしてンじゃねェかと思ったら、気が気じゃねえっつーか」 「そこは……ご自分を信じてあげてください」 呆れたような、けれど優しさを滲ませた声で雪藤が苦笑する。 「大丈夫ですよ。昴さんが律君の嫌がること、できるわけ無いじゃないですか」 「――……おう」 (夢の中の自分にまで嫉妬するとか……) 笑うしかねえ。 雪藤の言葉で少し落ち着いた俺は改めて自嘲する。 (……けど、そうか) 抑えるのが難しいほどの高揚感と焦りに似た感情。 きっとまた顔に出てしまっているんだろうが、仕方ない。 夢に苦しんでいた姿を、うなされていた事を知っているから。 自分が今のこの瞬間に、安らかな寝顔を与える一端になっていることがたまらなく嬉しいのは事実なのだから。 けれどそれが現実の(ここにいる)自分ではなく、夢の中のーー恐らくは律の中の理想の(じぶん)であることが悔しい事も。 「……もっと頑張らねえとな」 呟いた言葉は雪藤には聞こえなかったのか、それとも聞こえていないフリをしたのか今度は何を言うこともなく、再び緩やかに車を走らせた。 ――――― ――― ―― あれからしばらく。 何回か言葉を交わすものの、次第に語尾があやふやになり、終いには再び黙ってしまった昴さん。 起きている、とは言っていたけれど流石に疲れた身体で静かに車に揺られていれば、それはなかなか難しかったようだ。 駐車場へと車を止め、声をかけるために振り返ったものの。 (起こすの、勿体ないなあ) 普段と180°違うその顔はやっぱり(かのじょ)にそっくりで、当たり前だが兄妹なんだなあとしみじみ思う。 律君がきて、昴さんの表情は格段に柔らかくなって。 ここ数年では間違いなく、現在(いま)が一番穏やかで平穏な時間と言える。 同じ痛みを共有しているからこそ、自分ではどう足掻いても、彼にあげられなかったもの。 (……ありがとう、律君) 出会った頃とは違うあどけない顔で眠る姿に心の中で告げる。 彼がもう少し大きくなってこの言葉の意味を、気持ちを理解して笑ってくれたら。 きっと今よりもっと、幸せなんだろう。 この世界にいる以上……危険とはいつも隣合わせで、もしかしたらもっと違う道もあったのかもしれない。 けど、それでも――やっぱり律君が昴さんの所にきてくれて良かったと心から思う。 (……霞先生に送ってあげよ) パシャ、と写した中の一枚を昴さんの悪友兼律君の主治医へと送信する。 すぐにイイネ!と返事が届き、思わず笑い声が出てしまった。 「……なーに一人で笑ってンの、雅クン」 「あ、おはようございます」 はよ、といつもより気怠げに返事をした彼は駐車場にいるのを認識し、欠伸を噛み殺す。 「……起こしてよかったのに」 「二人ともあまりに気持ち良さそうでしたから」 「そうか……さんきゅな」 「ん……すばる、さん……?」 話し声で目が覚めたらしい律君がその体勢のまま、昴さんを見上げ――――  「おお、起きたか律。着いたぞー」 ――――身体を起こした瞬間、ハッとした顔をして、くるりと昴さんに背を向けてしまった。 「!」 「り、律君?」 「あ、えと……なん、なんでも、ないです!」 いや誰がどう見ても、というほどの慌て方。 「あ、その、俺なにかした、のか?」 昴さんまで内心慌てているのか背を向けられたことが相当ショックだったのか。 直球で何を聞いてるんだと突っ込みたくなった。 「なに、か……」 ぽぽぽ、と音がしそうな速さで真っ赤になった律君。 「な、な、無い!です……っなに、も……され、て……っ!」 「お、おう……そうか、ならいいんだが……」 つられてなのか、いつもよりややそわそわする昴さん。 (……わあ律君。いつのまにか倒置法なんて使えるようになったんだねえ) 勉強熱心だもんねえ、えらいなあ。 後部座席で繰り広げられるイチャイチャ――本人達は全くそのつもりはないだろうが――に思わず現実逃避してしまう。 (って俺が諦めたらツッコミ不在になってしまう) 「イヤなことしたんなら、その、殴っていいぞ?」 それにしても、昴さんは何を想像したんだろうか。 律君の前でそこまで動揺するなんて珍しい。 「えと、その……だ、だいじょ、ぶです……っ」 「けど……」 「……はいはい、お家着きましたから続きはお部屋でお願いしますねー」 収集がつかなくなる前に、と二人の間に割って入る。 この言い方では悪化するかなと思ったけれど、そこは流石に昴さん。 ハッとなった後に咳払いをし、気持ちを切り替えたようで「そうだな」と律君を見る。 対する彼はまだ顔が赤い気がするけれど昴さんの帰るぞ、という言葉には「はいっ」と元気に頷いたのだった。

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