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第53話
「ぼ、ぼく……お勉強、してますね」
部屋に戻るなり、そう言って律は本棚から勉強道具を取り出して机についた。
(……いったい何をやらかしたんだ夢の中の俺は)
雰囲気的に嫌なことや怖いことをした訳ではないことは分かるけれど、それにしてもな反応過ぎて正直戸惑ってしまう。
(どうすっかなあ)
以前までなら雅クンにお任せコースにしてしまっていた俺だが、今回は。
(明らかに俺が原因な以上……流石に自分で解決しねえとな)
ちら、とキッチンに目を向けると雪藤は黙々と、けれど楽しそうに夕飯の準備をしてくれている。
(わっかんねえ……そっとしとくべきか?それとも何事もなかったように話しかけるべきか……?)
どちらにしろ、今日は一緒には寝られなさそうだ。
仕方ねェ、と背もたれから背を離しパソコンを開く。
特に急ぎの仕事は入っていないのだが、とりあえず何かしていた方が気が紛れていい。
カタカタというタイピング音に気がついた雪藤が、俺に珈琲を律にジュースを運ぶ。
「おお、さんきゅ」
「律君もどうぞ」
「!ぁ、りがとうございます」
よほど集中していて気づかなかったらしい、びくっと肩を揺らしつつ律がコップを受け取る。
と。
「?律君、何のお勉強してるの?」
「へ?……と、あ」
俺の位置からは残念ながら見えないが、雪藤に手元を見られた律が慌てている。
「――こっちのほうが分かりやすくて易しいよ」
本棚から別の本を出した彼はそれを律に手渡す。
「はい……っありがとうございます」
素直にそれを開き、勉強を再開する姿に自然と口元がゆるむ。
「勤勉だな、律は」
「……そうですねえ」
含みのある笑いを返してきた雪藤はキッチンに戻る。
「……?」
気にはなったが、やっぱりこれ以上律を刺激するのはと黙っておくことにした。
―――――
カリカリ。
カタカタ。
トントン。
3つの音がしずかな部屋にずっと響いている。
ぼくの鉛筆と昴さんのパソコンとみやびお兄さんの包丁。
(やっぱりこのおへやが一番おちつくなあ)
あまかげ組の人たちもみんな優しくて、すきになった、けど。
本を読むふりをしてちらっと昴さんを見る。
(ぼくは、昴さんがおしごとしてるの、こうやってみてるほうがすきだな……)
みんなの前で、キリッとしてる昴さんはとってもカッコよかった。
みんなが昴さんをたよってて、いろんなお話して、ごはんを食べて。
おかーさんがいた頃みたいでたのしかったけど。
だけど、ちょっとさみしくてむねが痛かった、から。
と。
「律君?」
「!?」
昴さんを見つめすぎて、みやびお兄さんがジュースを持ってきてくれたことに気づかなくて、びっくりしちゃった。
「ぁ、りがとうございます」
「ごめんね、びっくりしちゃったね」
だいじょぶです、とオレンジジュースが入ったコップを受けとる。
そして、ぼくの手もとを見たみやびお兄さんが首をひねる。
「何のお勉強してるの? 」
言われて本を見て初めて気がついた。
(逆さま……っ)
しかもaとかbで書かれた本で、ひっくり返してもぼくには読めなかった。
なんて言おう、って慌ててたらみやびお兄さんは別の本を持ってきてくれた。
「こっちのほうがわかりやすくて易しいよ」
“はじめてのえいご”って書いてあるそれは絵がついていて読みやすそうで。
「っありがとうございます」
みやびお兄さんに昴さんのこと見てたの、バレちゃったかな。
お兄さんはぼくが昴さんのことを好きなの知ってるけど、でも、ちょっと恥ずかしい。
(と、とりあえずちゃんとお勉強しよう)
そしたら見てたのバレても恥ずかしくない……はず。
そう思ってぼくはもう一回、こんどはちゃんと正しく本を開いた。
―――――
頑張る律を見て、俺も何かしねえとと再びパソコンに集中する。
と。
ピリリ、と携帯が鳴り名前の表示を見て内心ため息を吐く。
(今日ぐれえはゆっくりできるかと思ったんだがなあ)
まあこの家業に休みなどないのだから仕方ないが。
今までそんなこと考えたこともなかったというのに、不思議なものだ。
「おう、どうした?」
『すみません、若。お休み中に』
「構わねえよ、急ぎか何かだろ?」
『……はい。あの、その前に』
「?」
『近くに律君、いないですか?あまり聞かせない方がよろしいかと』
電話の主、南雲 は声を潜 めてそう告げる。
勉強に集中していて電話していること自体気づいている様子はないが、気にかけてくれている以上注意したほうがいいだろうと「わかった」と返す。
雪藤にアイコンタクトを送り、部屋を移動して南雲に呼びかける。
『ありがとうございます』
「で……なんだ?」
『はい。実は――――』
「――――それ、情報源は?」
『露草 さんからです』
「ん、なるほどな」
彼――露草 臨 は情報屋であり、飄々とした掴みどころのないヤツではあるけれど腕は確かで仕事が早い男である。
「……一番早くて、いつだ?」
『ええと…今日なら21時頃は空けておく、と』
「了解。じゃ、いつもの所に21時って言っといてくれ」
『承知しました』
頼んだぞと電話を切り、リビングに戻ると雪藤がちらりと視線を送ってきた。
「夜出なきゃいけなくなった」
少し迷ったものの、そのまま彼の横に立ち小声で告げる。
「……内容は、ちょっとここじゃ言えねえけど」
律を見たことで敏 い雪藤は分かってくれたらしい、何も言わずに頷いた。
「留守、頼むな」
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