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第63話

「天景……だ、よろしくな」 意外と覚えてるもんだなあ、と目の前の彼を見て心の中で呟いた。 深く頭を下げる俺に「そんなに畏まらなくていいから」と苦笑する昴さんや「まずは一安心ね」と笑う灯の姿。 そして当時は何も思わなかったけれど――最初から本名を名乗ってくれていたんだなと嬉しく思う。 (……だったら良いなっていう俺の妄想の可能性もなくはない、けど) 不思議とは事実だったと確信をもって言える。 (荒れる前とはいえ、むやみに気を許す人じゃなかったもんな……) 勿論隣に灯がいるから、というのはあるだろうが、それでも現在(いま)と同じ素の表情に見えた。 「どうしたの?雅君」 あまりに二人を凝視していたからか、彼女が不思議そうにこちらを見る。 「大丈夫、何でもない」 懐かしさで感傷に浸っていた、なんて言えない。 言ったとしても夢の中。 変には思われないかもしれないけど。 「本当?…………あ。そうだ、兄さん!お店予約してくれたんでしょう?」 「ん?ああ、夜だけどな」 「兄さんも一緒よね?」 「……お前な、デートに他のオトコ連れてくなよ」 二人分に決まってんだろ、と突っ込む昴さんに対して灯は臆することなく「あら!」と笑う。 「今日は雅君と兄さんのための日だもの」 思わず二人で顔を見合わせる。 「二人が仲良くなってくれたら嬉しいなあって思ってたんだけど……三人で食事じゃ、ダメ?」 いくらこの頃の昴さんでも――いやきっと紅き狼(レッドウルフ) としての彼でも、可愛い妹の頼みは断れない。 「――――しゃあねえなあ……(わり)ィな雪藤君」 邪魔しちまって、と肩を叩かれる。 この頃の自分はどう返していたかなと思いつつ、「いえ、よろしくお願いします」と頷いた。 ―――――――― ――――― ―― 「どう?兄さん。雅君の良さ、伝わった?」 良い感じにほろ酔いなのだろう、それはそれは楽しそうに灯は後部座席から俺に問いかける。 「ん?ああ……」 ちら、と振り返り「そうだな」と呟く。 「――……いーんじゃねえの。お前マイペースだし変なとこで突っ走るから、こんくらい世話好きな方が」 そう返しつつ「ただ」と視線を前に戻す。 「職業柄、癖なのかもしれねえが……今後と飲む時は接待モードに入るなって言っとけ」 俺らのペースに合わせて飲むなってな。 「そうね、そうするわ」 目線を落とし、自分の太腿に乗っている頭を撫でながら灯は頷く。 あれから。 車でドライブを兼ねつつ、灯が今一番お気に入りの風車の丘へ向かい、夜は予約しておいた和食の店で食事をとった。 最初こそ緊張が解けず、ぎこちなかった彼も酒が入るにつれ少しは打ち解けたように見えたのだが。 (まあ……彼女の兄貴と、しかも極道と一緒にいちゃあ……飲みすぎても無理ねえけど) 俺のペースに合わせすぎたらしい彼は店を出る頃には完全に酔いが回ってしまったらしく、現在夢の中にいる。 「(ウチ)の連中、特に酒好き多いからなあ……」 飲めないわけじゃないにせよ、時に苦労するかもしれない。 と、行く末を心配していると運転席から名前を呼ばれた。 「若頭、どうしますか。本家でよろしいんで?」 「ああいや……」 目ェ覚めて怖い男達に囲まれてたら流石に可哀想だろう、と否定する。 「別宅……もあんま変わんねえし……――」 ちらりとバックミラー越しに見える灯の顔。 穏やかで可愛らしい、恋人を見つめるその顔。 兄としてはちょっと切ないそんな妹の表情を見て、まあコイツならいいかと息を吐く。 「俺の部屋に向かってくれ」 「!いいんですかい?」 「ああ。俺にも飲ませすぎた責任があるしな」 「分かりやした」 それから、走ること十数分。 「さんきゅ、お疲れさん」 「ありがとう」 「へい!」 運転手を見送り部屋についても、彼は起きる気配もなく――――仕方ないとベッドに寝かせることにしたのだった。 ―――――― ―――― ―― そして、朝。 ふわふわと部屋に広がる、普段のこの部屋ならあり得ない甘い香りに目を覚ます。 同時に体を起こしたせいでバサリとブランケットが床に落ち、キッチンにいた灯がこちらを振り向いた。 「あ、おはよう兄さん。今日は特製パンケーキよ」 「特製って……いつもと材料変わんねえだろ」 「ふふ。今日は愛情二人分入ってるんだから」 「灯ちゃん、いつも美味しいご飯アリガトウ」 「もー!愛情って大事なんだから!兄さんも誰かに作ってあげるときはちゃんと愛を込めて作るのよ?」 「わーってるよ。そういう時が来たらな」 「まったく。約束だからね?」 「ハイハイ」 破ったらもうご飯作ってあげないんだから! なんて冗談混じりに怒る姿が可愛くて、同時にそれはそのうち雪藤(かれ)のものになるのかと切なくなる。 「雅君おかゆなら食べられるかしら」 呟く後ろ姿に思わず笑みがこぼれ、そんな彼の様子でも見てきてやるか、と寝室に向かうことにした。

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