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第6話
書類の準備がありますのでそれでは、と荒島が帰ってから数分。
意外でした、と南雲が口を開いた。
「……意外?」
「若は、子供が苦手だとばかり」
「あー……得意ではねえな」
眠る少年に車から持ってきた羽織を被せてやりながら答える。
彼は麻酔がよく効いているようで、起きることもなく寝息を立てている。
「若!ありました!」
ひょっこり顔を出した北海はアルバムを手に部屋に入ってくる。
「おお、サンキュ。お前ほんといい鼻してんなー」
受け取り、一ページずつめくっていく。
産衣にくるまれ母親だろう女性に抱かれている写真に始まり、ハイハイしているもの、カメラに向かって手を伸ばしているもの。
極々普通の幸せに満ちた写真達。
だが、こちらのアルバムもまた、居間の写真と同じく小学校に入った辺りのものまでしか貼られていなかった。
(……大体予想はつくが……調べさせるか)
雪藤の番号を呼び出し、用件を伝える。
余計なことは言わずに、分かりましたと彼は電話を切った。
「うし、じゃあ……とりあえず出るぞ」
「え?」
「いいんですか?父親は……」
「あー、たぶん待ってても帰って来ねーだろ」
借用書の名前の中にはかなりタチの悪い所もあった。
逃げ切れる可能性は限りなく低い。
「俺らにとっちゃ債務者で滞納者、しかもこの分だとかなり前から虐待を受けてただろうが……」
それでも、と少年へと目を移す。
「それでもコイツにとっちゃたった一人の大事な親父だろ。"捨てられた""売られた"なんて知るより、"無理やり連れて行かれた"の方が生きやすいんじゃねーか?」
羽織ごとブランケットにくるまれた少年を背負い、部屋を出る。
十五歳にしてはその身体は細く、軽い。
「とりあえず霞 のとこ行って、診てもらうか」
「連絡しておきます」
「おお、頼む」
起きた時、あまり人がいない方がいい。
霞の言葉を聞き、南雲と北海は先に帰らせた。
かなり渋々だったものの、コイツのためだと言えば引き下がってくれた。
「栄養不良……栄養失調症だね」
点滴を打ち、心音を確かめ……と一通り診察と処置を終えた霞が俺に向き直る。
「ケガは?」
「擦り傷が多いかな。打撲……は治ったのがほとんど。骨折とか、大きいケガはしてないね」
「……そうか」
「身体の傷は痕もなく治るだろうから心配しなくていいよ。それより問題は……」
ちらり、と未だ眠ったままの少年へ霞が視線を送る。
つられるように俺も彼に目を遣った。
白い肌に残った赤い傷痕は何度見ても痛々しい。
「……"心"か」
静かに頷く霞。
居たたまれなくなり、ベッドへと腰かけ、顔にかかっている髪をはらってやり、その頬に触れる。
子供特有の柔らかい肌。
ふ、と思わず笑みが溢れたのを彼は見逃さなかったようで。
「……君って父親になったらものすごく甘やかしそうだよね」
「は?」
「……さて。しばらくは食事制限つけて、徐々に食べるもの増やしていくから」
「お、おう。分かった」
彼はさらりと医者モードに戻り、カルテの記入に戻る。
「ああ、そうだ。それで……この子、名前は?」
「名前……って、さっき言わなかったか?」
「聞いたけど……君は"心的外傷 "のある子を、それを呼び起こす可能性がある名前で呼ぶのかい?」
「……あー、悪ィ。そういうこと……な」
そう、とにっこり笑い「それで?」と促してくる。
「……そうだな」
規則正しい呼吸をしている彼を見て。
自分の若頭という立場を考え。
ぽつりと一つの答えを出す。
「……律 、とかどうだ?」
「へえ……いいんじゃないかい」
す、と目を細めた彼は優しく微笑む。
「君はたまに突っ走るから、それを止めてくれるって意味でも合ってると思うよ」
「ん、じゃあ律で」
診察カード作るから、と霞が席を外し、診察室に二人きりとなる。
しん、と静かな部屋が少し寂しく感じて――
「…………よろしくな、律」
――起きる様子のない彼の黒髪をくしゃくしゃと撫でてやった。
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