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太陽の影 2
ソウル……
あの不思議な過去との出会いと別れから五年の月日が流れたが、俺と丈はそのまま丘の上の一軒家にまだ住み続けている。もう義父から逃げる必要もなく、日本へ戻ることも出来たが、俺はその道を選ばなかった。
ここソウルで新しい出発をしたかった。過去の俺のことを誰も知らない国で一から始めたかった。生まれ変わったように生きたかった。丈と気兼ねなく二人きりで過ごしたかった。
仕事も終わり、丈の待つ俺たちの家にバスで戻る。バスの窓から見える夜景はキラキラと星空のように瞬いている。坂の上にあるバス停まではかなりの坂道なので、まるで夜空へ駆け上っているような錯覚にいつも陥ってしまう。
俺が戻る場所はただ一つ。
丈の元。
それだけだ。
それだけでいい。
「ただいま」
「お帰り、洋遅かったな」
「ああ、今日はホテルのレセプションの通訳で時間が延長した」
「そうか疲れただろう。シャワー浴びて来いよ。夕食の準備しておくから。まだ食べていないだろう? 」
「うん、お腹空いた」
「ふっいつものセリフだな」
俺は語学学校を卒業し、英語、日本語、韓国語が出来るということで通訳としての仕事を始めた。kaiの働くホテル専属ということでホテル内で働くことが主なので、何かと安心だ。今日は少し遅くまでかかってしまったが、順調に仕事をこなすことが出来た。
ここに来た当初は丈に守ってもらうだけの日々だったが、義父のことや過去の謎も解け、俺はこの五年間で少しはしっかりしたと思う。
シャワーを浴びて、髪を拭きながらキッチンへ行くと、すかさず丈が炭酸水を出してくれたのでゴクゴクと飲み干すと一日の疲れが吹き飛んだ。
「ありがとう。本当に気が利くな。丈は今日も忙しかったか」
「あぁそれなりにな」
丈は今はソウルの病院で医師として働いている。俺がこの国の言葉を教えてやると、あっという間に習得してしまった。そういうわけで二人ともちゃんと定職に付けたので、パスポートの問題もなくなり、この国で安心して暮らせている。
きっとこのままずっと、丈とこの地で時を重ねていくだろう。
「そうだ……洋に手紙が来ていたぞ」
「珍しいな。誰からだろう」
「……ほら」
丈が少し神妙な顔つきになった。手渡された手紙の差出人を見て、俺も少しだけ嫌な気持ちを抱いてしまった。いつまでもこんなことじゃ駄目なのに暗い溜息が出てしまった。
「……父さんからか。この時期になると必ず誘ってくるんだ」
「何を?」
「夏休みにアメリカの別荘へ来ないかと」
「へぇ向こうに別荘を持っているのか」
「マンハッタンから三時間ほどの長閑な町だよ。俺が学生の頃、夏休みには必ず連れて行かれた……場所だよ」
別荘の前の敷地は、サマーキャンプ施設になっていた。バンガローに泊まっている学生の楽しそうなはしゃぎ声や、池で釣りをするにぎやかな声を思い出す。
俺はその頃、今よりずっと周りを警戒していたので友人と呼べるような奴もいなくて、孤独だった。父からの不可解な執拗な視線にも怯え、身の置き場がなかった。
別荘の部屋に籠り、外から聞こえてくる楽しそうな声に、じっと耳を傾けていた。
「……まだ会えないのか」
「あぁ、まだ……駄目みたいだ」
義父に犯され、丈と逃亡して来てからもう五年も過ぎたのに……。義父が銃で撃たれ意識不明の重体に陥ってしまった時、俺は一度義父のもとへ戻った。そして下半身不随になった姿に心を痛め許そうと努力した。
俺にしたあの惨い行いを……慈雨の涙によって。
だが結局五年経っても……父の顔をもう一度見たいとは思えなかった。
父からの手紙には「一日……いや一時間でいいから顔を見せて欲しい」と書かれていた。
この手紙はあれから毎年届いたが、いつも破り捨てていた。あの時は許せそうになったのに……やはり心の奥底の傷は何かの拍子で疼きだすので、ニコニコ笑って父のもとへ遊びにいける状態ではなかった。
「無理するな、洋のしたいようにすればいい」
「丈、ありがとう……」
丈は相変わらず優しい。その包み込むような大きな優しさは出会った時から何も変わらない。ぶれない強さ……暖かさを持っているから、傍にいると心が本当に落ち着くよ。
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