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すぐ傍にいる 3

 視線を辿った先に、空港の雑踏に紛れて黒髪の青年二人と恰幅の良い欧米人が一瞬ちらっと見えた。そのうちの一人が洋に面影が似ているようで、はっとした。 「あっ」  慌てて目を凝らしたが、次の瞬間には、もう後姿でどんどん遠ざかって行ってしまった。  あの綺麗な後姿も洋に似ているな。だがすぐにそんな風に思ってしまった自分に苦笑した。  おいおい……ソウルに着いた途端、そんな簡単に会えるはずないだろう。硝子越しに遠く見えた光景は、どこか不鮮明で現実離れしていた。  あれは……きっと会いたいと思う気持ちが見せた幻だ。  スーツケースが出て来たと秘書が知らせて来たので、俺は周囲に気を配りながら到着ロビーへ向かった。 「光丘薬品様、ようこそソウルへ」  到着ロビーに一歩足を踏み入れるなり、ボードを持った先ほどの通訳らしき男性から声を掛けられた。どうやら彼は日本人のようで流暢な日本語だ。 「あなたが今回の通訳の方ですか」 「はいホテルから派遣されました松本と申します。」 「あっはい。俺は日本からのボディガードの鷹野です。よろしくお願いします」 「よろしくお願いします。この二人が現地手配のボディガードです。では行きましょうか、車を待たせてありますので」 「はい。重役、ではあちらへ。歩く時は必ず私たちボディガードの間を歩いて下さい」  松本と名乗る男に、先ほど会釈していた人は誰かと聞きたかったが、ぐっと我慢した。  しっかりしろ、今は仕事中だ。もう忘れろ。 ****  いつもはホテル内での会議の通訳がメインなので、ホテルの客とマンツーマンで出かけたり通訳をすることは滅多にない。  今回はKaiが全行程一緒に付いていられるというので引き受けた。だがやっぱりやめておけばよかったと車の中で後悔した。  通訳だから客の隣に座らないといけないのだが、妙に相手との距離が近い。相手が欧米人で恰幅がいいからだろうが、車体が揺れる度に躰が触れ合うのが、どうも気になる。  これは仕事だ。この位のことは気にせず気持ちを切り替えていかなくては。 「You must be tired from today the hotel direct?」 (お疲れでしょうから今日はホテルに直行で良いですか?) 「Oh yes, you're right. Serious jet lag.But I want to go to lunch I'm hungry」 (そうだね。時差が厳しいしな。だがお腹が空いてしまったよ。ランチに行きたいのだが) 「Is the hotel restaurant OK?」(ホテルのレストランでよろしいでしょうか) 「Oh, okay.」(あぁそうしてくれ) 「Kai、スミス氏はお腹が空いておられるそうだ。ホテルでランチの手配出来るか」 「了解!せっかくだから韓国料理にするか」 「そうだね」 「Is a restaurant of Korean food also OK?」(韓国料理のレストランでもいいですか?) 「OK. Don't you sit in company, either?」(いいよ、君も同席してくれないか) 「…」  行かざる得ないだろうな。この状況……顔が引きつりそうだった。  結局そのまま昼食に付き合わされ、ホテルの部屋に案内し、明日からの行程をkaiも同席して一緒に打ち合わせし、やっと今日の仕事が終わりだと思ったのに……そのまま夕食もメニューの頼み方が分からないという理由で付き合うことになった。  俺はKaiにも夕食の同席を求めたが、kaiはホテルマンなので客と同席は無理だった。分かってはいるのに、マンツーマンで対応するのが怖かった。 「The liquor which is any more is impossible.」(もうこれ以上のお酒は飲めません) 「Wouldn't you like yet?」(まだいいじゃないか)  強引に勧められた酒はちっとも美味しくなく、緊張して食べた食事のせいで胃がキリキリと痛みだした。そんな俺を見かねたKaiがなんとか切り上げてくれて、やっと帰宅できることになった。  車の中でKaiがそわそわと心配そうにしている。 「洋、お前大丈夫か」 「……なんとか……」 「あの客かなり強引だよな」 「そうだね。酔っぱらったよ」 「無理するなよ、仕事変えてもいいんだぜ」 「いや大丈夫だ。引き受けたからにはちゃんとこなすよ」 「分かった。また明日迎えにくるから、とにかく今日は早く休め」 「Kai、今日はありがとう」 「今日は丈に理由話してちゃんと寝かせてもらえよ」 「kaiっお前ってやつは!」  せっかくしんみりと感謝していたのに、いつも最後はこうだ。でもそのお陰で少しだけ元気が出た。 **** 「ただいま……」 「洋、お帰り遅かったな」 「んっ」  玄関で靴を脱いでいると、丈がエプロンをつけたままやって来た。 「洋、お腹空いてるだろう?」 「いや、食べて来た」 「誰と? 」 「……通訳の相手と」  本当は丈の手料理が食べたかった。申し訳ない気持ちで丈を見上げると、丈は怒る素振りもなく俺のことをそっと抱きしめてくれた。 「普段こんなに飲まないのに……酒まで勧められてしまったんだな」 「……ごめん。俺……酒臭いだろ……シャワー浴びてくるよ」 「いいんだ。洋は仕事を頑張って来たのだから、恥じるなよ」    そんな風に優しく囁かれると、気が緩んでくる。だが、自分一人が酔っぱらっていることが恥ずかしくなってきてしまう。 「丈……」 「なんだ?」 「早く会いたかった」 「そうか、嬉しいよ」  丈の声に、丈の体温にほっと安堵する。  朝あんな風に言って出かけたが、少しでも離れていると丈が恋しくなるのは俺の方なんだ。丈がいてくれないと、丈に触れていないと心が落ち着かない時がある。 「丈っ」  俺の方から丈の頭の後ろに腕を回し、少し背伸びして唇を押し付けた。丈の温もり。優しさを分けて欲しくて、角度を変え何度も何度もキスをした。  舌を差し込み絡め合い……吸いついて甘噛みをして、キスはどんどん深まっていく。それだけで1日の疲れが癒されていく。 「んっ……ん…」 「おい洋……随分積極的だな。かなり酔っぱらっているのか」 「……続きは夜にって言っただろう」 「それは……誘っているのか」 「そのつもりだけど」

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