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完結後の甘い物語 『雨の悪戯 3』
「クシュっ」
「洋、風邪か」
「いや……なんか鼻がムズムズする」
「それはハウスダストだな。薬があったはずだ。ちょっと待っていろ」
午後になって使っていた離れを引き払い、仮住まいの部屋に引っ越しをした。ずっと閉めきっていたせいで湿気が多い部屋だったので、どうも鼻の調子が悪い。
「ほらこれを一錠飲んでおけ。しかしこんな部屋しかないなんてな」
「でも、流さんが気を利かせてくれたから」
「だが、なんでこんな母屋から遠い部屋なんだ。トイレや風呂に行くのも大変じゃないか」
「ははは……」
首を傾げる丈の様子に苦笑してしまう。
それは丈のせいだ!と、声を大にして言いたかった。
****
翌日から工事の業者さんがやってきて、部屋の内装の解体を始めた。さぁいよいよリフォーム工事のスタートだ。俺はその様子を庭先から眺めていた。
「洋くんこんにちは」
「あっ野口さん」
「いよいよ今日からね。二か月ほどかかるけど大丈夫そう? 」
「はい。よろしくお願いします」
この女性はリフォームを依頼した建築会社のデザイナーさんだ。リフォームの全貌は、俺は数回しか立ち会っていないので、実はよく理解していない。
翻訳などの作業をするデスクと、大きな本棚だけはリクエストさせてもらったが……あとは丈に任せた。最初は空調設備を付けたり傷んだ畳や襖を取り替えるだけのはずが、いつのまにかこんな大規模なリフォームになっていて驚いた。
「でも、本当に大がかりですね」
「そうね。丈先生の希望? っていうか妄想……いやいや夢が多すぎて、全部取り入れるのに苦労したのよ」
「丈の夢?」
「えぇ出来上がったら大いに楽しんで欲しいの。あちこちでね……ふふふ創意工夫を凝らしたつもりなのでよろしくね」
「……楽しむ? 何をですか」
「まぁまぁ……」
まったく、みんなして俺を揶揄う。それにしても……丈の夢というのに嫌な予感が込み上げてくる。また変なこと考えていないといいのだが。
マスクをしながら新しい部屋で段ボール箱を開けて荷物整理をしていると、翠さんが様子を見に来てくれた。
「洋くん、丈から鼻の調子が悪いって聞いたよ。本当にこの部屋で大丈夫なのか。やっぱり埃っぽいね。僕の部屋に来る? 」
いやいやそれは無理だ。翠さんと同室なんて、緊張してしまう。
「翠さん、二カ月だしちゃんと掃除すればなんとかなりますよ」
「そうかな。そういえば丈から聞いたよ。いいね。」
「えっ何をですか?」
今度は一体何だ? 丈は最近……張り切りすぎだから心配だ。
「新婚旅行に行くんだって」
「えっあれ本気だったのか!」
「ふっ、また丈が勝手に決めてしまった? 丈はだんだん流と似て来るね。流もいつも勝手にあれこれし出すけど」
「あの……何処に行くって言っていましたか」
確かにこの前そんな話をしたけれども、いつ決まったんだが。まぁ俺は丈の行く所に、結局必ず付いていくけれども。
「確か宮崎だったかな。随分と張り切っていたよ。僕は南国リゾートなんて、ほとんど行ったことがないから羨ましいよ」
「そうなんですね。じゃあ……翠さんは、どういう所へ旅行したのですか」
「ん……仏門の修行で北陸とか東北とか、そういう渋い旅行ばかりだよ」
「そうなんですね。流さんはいろいろ行っていそうなのに意外です」
「あぁそうだね。流は若い頃は突然家を飛び出し数日帰らないことがよくあったな。後から聞くと自転車でふらっと旅をして野宿したとか、青春18きっぷで電車を乗り継いで京都まで行ったとか。一番遠くはエジプトまで行っていたよ。本当にあいつは、昔から自由奔放だったよ」
流さんの話をする翠さんは、どこかいつも眩しそうでもあり嬉しそうだと思った。
「流さんらしい。あ……そういえば、翠さんに聞いてもいいですか」
「んっ何だい?」
昨日引っ越しをする時に見つけた古い木箱を取り出して、翠さんに見せた。
「これ、誰のものだか知っていますか」
翠さんの感情が一瞬揺れたような気がした。
「あ……これ…」
「もしかして翠さんのですか?」
「あ? うん……これをどこで?」
「離れの俺達が使っていた押し入れに入っていて」
「そうか……そんなところに。ありがとう。これは僕のものだよ。僕が受け取ってもいいかな」
「もちろんです!よかった。持ち主が見つかって」
宝物のように大切そうに木箱を抱く翠さん。
俺よりずっと年上で、丈の一番上のお兄さんなのに、時折すごく若くそして儚げな印象を受けるんだよな。
翠さんは普段は落ち着いて立派に若住職として勤めているのに、たまにふっとこんな危うい表情を浮かべるのが、不思議でもあり魅力的だと思った。
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洋に出逢うまでの、若い頃の流と翠の話は「忍ぶれど…」で連載中です。いよいよこの二人の話も本格的に始まります。
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