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『蜜月旅行 58』もう一つの月
「翠……抱くよ。今から翠を抱く」
僕は流の囁きに無言で頷いた。
もう逆らえない……
流の熱い激情がどしゃぶりの雨のように降り注ぐ。
僕も、このまま流されてしまいたい。
どこまでも流と共に。
流れ着いた先に何が待っているのか、それは分からない。
分からないことは怖いが、それでも今までの殻を破ってでも、流に抱かれたいと切に願った。
「翠……翠……俺の翠」
流が苦し気に僕を呼ぶ。
その言葉に僕も応じる。
「流……大丈夫だ。僕はずっとここにいる。もう何処にもいかない」
なだめるように言うつもりが、その言葉は流の唇で塞がれた。
「んっ……」
そのまま浴衣の帯をするりと解かれ、その隙に流の逞しい手が忍び込んで来た。僕の躰のすべての箇所を、流が確認するように触れて来た。
唇……首筋から鎖骨。肩のラインを滑り降り、腕を掴まれ手を絡め合う。片方の手をシーツに縫い留められたまま、胸を撫でられ、乳首を指先で摘ままれた。ピリッとした軽い痛みが躰を走り、腰が飛び跳ねた。
「あうっ!」
「痛かったか、悪い」
「……」
そんな色っぽい声を出すな……何かが、おかしくなる。
僕は男だ。男なのに……流の低い官能的な声に、さっきから胸が高鳴ってしまうのだ。
「ずっとこうやって触れてみたかった。翠の躰に」
流はいつから僕のことをそんな風に見ていたのか。そして僕はいつから流のそんな感情に気が付いていたのか。
あの日……僕が結婚して家を出て行く日、流の目から零れた涙の意味が、今となっては痛い程分かる。
お前には残酷なことをした。あの時の僕はまだ何も分かっていなかった。少しの違和感を持つものの、寺の跡取りとして望まれる道をただひたすらに進んでいた。
「んあっ……っ」
流の唇が僕の乳首に触れたかと思うと、そのまま乳輪を舌でベロっとなぞられて、ぞくぞくっとした。
「あっ……これは……」
その感覚を僕は朧げに覚えていた。
「流……もしかして、さっきもしたのか」
「あぁ悪かった。寝ている翠にフライングしてしまった」
「……やはり」
「怒っているか」
「いや……でも、まだ慣れない。こんな風に一方的にされるのは」
「いや、翠はそのままでいい。俺に委ねろ。翠は何もしなくていい」
「でも……それじゃ」
女性のように、ただ横になって愛撫を待つなんて、当たり前だが、そんな経験はないので、どうしたって戸惑ってしまうよ。
「感じてくれたらそれでいい。俺の愛撫に躰で応えてくれ」
耳元で囁れる流の言葉があまりにも露骨で、羞恥に身が悶えた。
「無理だっそんな」
「翠……男は俺が初めてか」
「っ……当たり前だよ。何故そんなことを聞く?」
「嬉しい……良かった。翠……ありがとう」
本当だ。確かに何度か危ない目にはあったが、男に躰を奪われたことはない。返事を聞いた流は、心底嬉しそうに僕の躰を抱きしめた。
「翠……良かった。翠の初めては俺がもらいたかった」
「流っ初めてって……僕のこといくつだと思っているんだ」
でも、その温もりに強張っていた躰の緊張が解けていく。僕ははぁっと息を吐き、流の背中に手をまわして
「流……僕、上手く出来るか分からない……でも流になら何をされても大丈夫そうだ」
「おいおい翠……あんまり可愛いこと言うなよ。止まらなくなる。でも痛い思いはさせたくない。だからそのまま躰の力を抜いていてくれよ」
甘い言葉のやりとりに、さっきまで抱いていた罪悪感も恐怖も何もかもすっかり流れていってしまったようだ。
このまま僕は流に抱かれる覚悟が出来ていた。
「いいよ……流……僕を…抱いてくれ」
まさか自らこんな言葉を発する日が来るとは、人生は分からないものだ。流の方も感極まった表情で僕を見下ろしていた。
「はぁ……いざとなると勇気がいるな。翠の胸元の月輪、光っているみたいだ。まるで翠の躰を反射しているように」
「え……そうなのか」
胸元を見下ろすと、さっき丈と洋くんから受け継いだ月輪は乳白色に静かに輝き、興奮した僕の躰の熱を吸って熱くなっていた。
「月輪も待っているんだな。俺達が繋がる時を」
「……うん、そのようだ」
受け入れる。
この流れを受け入れていく。
ただそれだけのこと。
難しく考えるな。
これはずっと待っていたこと。
もうずっと昔から願っていたことだった。
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