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振り向けばそこに… 11

「洋、洋……」  遠くから俺の名を呼ぶ人がいる。  早く起きないと……  そう思うのに頭がガンガンして、思わず顔をしかめてしまった。 「しょうがないな……あまり時間がないのに」  えっ時間って……? 俺は病院の待合室のソファにいたはずなのに、ここはどこだろう。 「洋、そろそろ目を覚まして」  あっ……この声は丈だ。  そう思うと急にほっとして、躰の力がいい感じに抜けていく。さっきまでの頭痛も収まってきた。いつもどうして……俺は丈の声を聴くだけで、こんなにも穏やかな気持ちになれるのか。  重い瞼を開くと白い布が見えた。焦点を合わせていくと、俺は簡易ベッドに寝かされていて、白衣を着た丈が覗き込んでいるのが分かった。 「丈……」 「んっ気づいたな。どれ?」  いきなりベルトを緩められ着ていたシャツを捲りあげられしまう。すぐに聴診器を胸にあてられたので驚いた。冷たい金属の感触にひやりと躰が竦み上がる。 「わっ……丈っ何?」 「うん?」  丈の方は至って真面目な顔で診察してくるので、俺も動くのはやめて、じっとした。  聴診器は胸を何箇所か確認し、それから丈の大きな手のひらが俺の腹を擦り、次にリンパ腺を確認するように顎から首筋を辿っていく。  白衣を着ているのだから、変な意図はないはずだ。  でもなんだか……  そう思うのに恥ずかしくなって赤面してしまうよ。 「洋、動かないで、これは診察だ。貧血ばかり起こすから……少し診せて」 「う……ん」 「ふっ……いい子だな」  まるでこれじゃ子供扱いだ。  文句を言おうとすると、丈は余裕の笑みで俺の躰を起こし後ろに回り込んで来た。今度は何の診察だ? 「背中も見せて」 「んっ……こう?」  こんな風に丈に直接診察してもらうのは久しぶりで、なんだか動きがぎこちなくなってしまう。背中にも聴診器をあてられるのかと思ったら、背後から丈の手が回って来て、ぎゅっと抱きしめられた。 「丈っ!」 「洋もう大丈夫そうだな。悪かったよ。何時間待った?」 「あ……いや、俺こそごめん、忙しいのに突然来ちゃって」  そこでやっと、何故自分がここに来たのかを思い出した。 「いや、いいんだ。だが驚いたよ。洋がここまで来てくれるなんて初めてだったから」 「内覧会が無事終わって……それがあまりに素晴らしい出来栄えだったから、無性に丈に会いたくなって。早く会ってお礼を言いたくなってしまって……それで来た」 「そうか嬉しいな。新居は良かったか」 「最高だった! でも……丈が横にいないから寂しくなった」 「随分と可愛いことを言ってくれるな。私も一緒に見たかったよ。今日は定時で帰れるから、帰宅したらそのまま家の説明をしてくれ。そうだ、この部屋で待っていればいいよ。洋のことはライターだって言っておいたし、問題ないだろう」 「俺がライター? 大丈夫か。よく考えないで来てしまったけど、丈に迷惑をかけていないか」 「大丈夫だ。せっかく私を迎えに来てくれたのだから、歓迎させてくれ」  確かに丈はさっきから上機嫌で嬉しそうだ。  ふぅん、知らなかったよ。そんな顔もするのか。  俺は今まで年上の恋人に甘えすぎていたことを感じた。それに今まで月影寺に籠りっきりで、丈がどんな風に働いているの知ろうともしないで、なんだか悪かったとも。  これからはもっと丈のことも知りたいし、知っておきたい。本当の意味で二人で暮らすようになるのだから。 「どうした? 真面目な顔をして」 「んっ……嬉しくて。丈ありがとう。俺に家をくれて……」 「あぁ、あれは洋の家だよ。ちゃんと居場所を作ってやりたかった」 「うん、全部伝わってきた。丈がどんな想いであの部屋をリフォームしてくれたか」 「そうか、分かってくれたか」  そのままお互い自然と唇を重ねた。  温かい。  白衣姿の丈は、仕事中なのに……いいのかな。  それでも俺は丈の口づけが欲しがった。  丈もちゃんとそれを理解してくれて、後頭部を抱き寄せ、口づけを深めてくれる。 「あ……んっ」  丈の方もいつになく官能的な深いキスをくれた。  ここは職場で、丈は医師。  これ以上のキスはお互いの躰に毒だと分かっているのに、やめられない。互いの舌先を絡め合い啄むキスからディープキスまでを、まるで波のように仕掛けられ、眩暈がするほどだ。  途中で丈のスマホのアラームが鳴ったので、ようやく離れることが出来た。 「はぁ……もう時間か」  盛大な溜息をつく年上の恋人が、今日は何故だか可愛く見えてしまった。 「俺の最高の恋人だよ……丈は」 「珍しいな。今日は随分と優しく素直だな。もう一度特別な診察してやろうか」 「え? もしかしてさっきのって……まさか!」 「ははっ、感じるのを必死に我慢している洋が可愛くて、最初はちゃんと診察だったが、余計なこともしたさ」 「丈っお前って奴は、やっぱり!」  お互い笑いあった。  午後の明るい日差しが、そんな俺達をふんわりと包み込んでくれる。  それから丈は昼食を食べていなかった俺のために、急いでインスタントのスープとパンを用意してくれた。 「丈の食事は?」 「もう時間ないな。洋を食べたから大丈夫そうだ。その代り夜はフルコースで頼むよ」 「なっ!」  丈は笑いながら白衣を翻し、午後の診察へと戻っていった。  丈がいない部屋で、俺は幸せの余韻を感じていた。  もう少し横になっていた方がいいと言われたので、そのままベッドに横たわることにした。 「どうやら……夜に備えておいた方が良さそうだな」  幸せなゆりかごのような、そんな甘く愛おしい時間。  恋人の部屋で、仕事が終わるのを待つなんて。  俺の大事な人を待つ。  待ちたい人を、待てることの幸せを噛みしめていた。  毎日暮らすようになって六年近く経った。  それでも枯れることのない想いが溢れ出る。  丈がいてくれて良かった。  俺には丈がいてくれる。  そのことへの感謝の気持ちが、溢れ出る。 あとがき(不要な方はスルー) **** 志生帆 海です。 799話目の更新で、明日『重なる月』が800話を迎えます。(他サイト掲載時)今日はその前夜祭気分で、基本の丈と洋を描き切りました。今後、もっとこの二人の内面も掘り下げていきます。 いつも応援をありがとうございます。 皆さんに支えられています。

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