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いにしえの声 5

 洋くんが集中して行く様子を、窓際の藤の椅子に座りながらそっと見守った。  やりたいことを見つけたようで、ほっとするよ。  正直まだ20代の洋くんには、今の生活は勿体ないと思っていたからね。  月影寺での隠居生活なんて早すぎるよ。  僕と流はいい。  もう様々なことをお互いに経験した。むしろこれからは、あの寺でもっと二人で密な時間を過ごしたいと思っている。  でも洋くん、君はこれからだ。  外に……もっと外で活躍してもいい人だ。  それに医療系に特化したライターになりたいという夢は、丈に近づくものでもあるし、兄としても喜ばしいよ。  不器用な末の弟のことを頼んだよ。  暫く洋くんを感慨深く見守ってから、僕は流に電話をかけた。  まるで待っていたかのように、ワンコールで流が出た。 「もしもし……」 「僕だ。流、今、大丈夫なのか」 「あぁ居間にいる。それで、どうだった? 今日の成果報告を」 「んっ見つけたよ。夕凪の香りを感じることが出来た」 「そうか!それはよかった。どこまで分かった?」 「それがね、ひょんなところから夕凪と縁がある呉服屋で話を聞くことが出来て……なんと夕凪の元許嫁の家だったんだ。それで彼が宇治にいたことが分かったよ。あとあの風呂敷の染めの色合いから、老舗の大鷹屋という呉服屋とも関係があることも分かったよ」 「それで?」  流の声のトーンが一気に低くなった。 「えっその……明日ちょっと様子を見て来てもいいか」 「……」 「宇治は有名な観光地だし……問題ない場所だ」 「……はぁ」  盛大な溜息だ。  なんだか耳が痛い。 「怒っているのか。なぁ駄目か」 「はぁその声……どうせ俺が止めても行くのだろう。いいか、絶対人気がないところに行くな。無茶はするな。守れるか」 「言われなくても、もう無茶はしない。前のように無茶はもうしないから。今の僕にはお前が傍にいるのだから、信じて欲しい」  そうだ。  もう流を守るためなんて……自分勝手な理由で、逃げない。  流は僕のすぐ傍にいて、二人の間に垣根はなくなった。  流に抱かれた僕は、もう怖いものはない。  ずっとこの先一緒にいたいのだから、もう無茶はしない。 「分かったよ。気を付けろよ。しかし不安だな」 「ありがとう。夕凪が住んでいた家を突き止めることが出来ればいいが、一度では無理かもしれない。次は一緒に来てくれないか」 「あぁ焦らずな。次でもいいのだから。しかし……何をそんなに急ぐのか。俺は今ここにいるのに」 「流……ごめんな。ありがとう」 ****  はぁこんな時間から寝るなんて無理だ!  お子様じゃあるまいし!  母親と暮らしていた時、仕事でいない時は夜更かし、し放題だったし、早く帰って来た時は母は疲れてさっさと寝てしまったので、「早く寝ろ」なんて言われたの久しぶりだ。  気ままに生きてきた体に、この寺の健全な時計は時折ひどく息苦しい!  父さんがいる時は、もっと息苦しい。  しかし今夜は流さんだけなんだし、もっと自由にさせてくれればいいのに。  流さんから早く寝ろと注意されるとは意外だったな。 「あー喉乾いた」  俺は部屋を抜け出て、台所に水を飲みに来た。  すると台所の先の暗い居間から、ぼそぼそと声が聞こえた。  声の主はもちろん流さんだ。  誰と話しているのだろう。  心配そうな声。  穏かで優しい声。  こんな風にしゃべる相手は、きっと流さんの大事な人に違いない。  そう確信して耳を澄ましてみた。  盗み聞きするつもりではないけれども、興味を持った。

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