867 / 1585

解けていく 15

「とにかく僕は負けませんよ」 「えっそれどういう意味?」 「浅岡さんと僕はライバルです。張矢先生の出張同行の仕事は僕がもらってみせます! どうやって競いましょうか? TOEICは何点です? 僕も負けていないと思いますよ」 「え……」  ポカンと間抜けな顔をしてしまった。  そうか、さっき昼食時に出た話のことだ。  それにしてもにニューヨークへの出張予定があるなんて、まだ聞いてなかった。  本当に丈が行くのか。  それとも咄嗟に出た言葉なのかは分からない。  でも一つだけ分かったのは、高瀬くんは丈のことが好きということだ。 「あの……それって」 「浅岡さん、ズバリ言うと僕は張矢先生のこと狙っているんですよ。そしてあなたもですよね。同じ匂いを感じます。だから僕たちは同類でライバルだ」 「ええっ?」  高瀬くんが丈と俺が一緒に暮らしていることを知ったら、どう思うか。  恐ろしくなった。  深みにはまる前に正直に打ち明けた方がいいかもしれない。  とにかく丈に相談しないと。  こんなパターンは初めてで、キーボードを打つ手が震えてしまった。 **** 「どうした? 顔色が悪いぞ」  湯船の中で、僕を後ろから抱きしめている流の顔色が冴えない。 「あぁ悪いな。ちょっと昔を思い出していた」 「昔? いつのことだ」 「兄さんが離婚して戻ってきた時のこと…」  ドキッとした。  そんな昔のことを……もう10年近く前のことなのに。  僕は29歳で離婚した。  飛び出すように出て行った月影寺に、ひとりで戻って来たのだ。  都会の空気が合わなかった。  それは言い訳になるだろうか。  今考えれば分かる。  流がいない世界に耐えられなかったのだ。  あの頃は毎日が息苦しくてしょうがなかった。  もがくように息をしていた。  次第に無気力になり、彩乃さんに無理矢理、病院にまで連れて行かれてしまう始末だった。 「流が戻してくれた」  おかしくなりかけていた僕の心。  流が根気よく傍にいてくれたから、僕は僕というものを取り戻せたんだ。 「もういい……もう思い出すな。辛いだけだ」  流が僕の顎を引いて、口づけをしてきた。 「んっ」  息が出来ない程の深さで僕を追い詰めて来るので、思わずその胸を押しのけようとしたら、逆に正面を向かされ、ぎゅっと力一杯抱きしめられてしまった。  僕の肩口に流が顔を埋めると、流の長い黒髪が僕の肩を掠めた。  そして呻くように囁いて来た。  いや……縋るように。 「翠……もうどこにも行かないよな」 「どうして?」 「俺……宇治の廃屋が怖かった。あそこで俺の先祖の流水さんは湖翠さんをずっと待っていたのか。死ぬ間際まで……」 「それはどうだろう。彼は覚悟の上、出奔したのかもしれない」 「俺だったら耐えられない。翠と今生で別れることがあるなんて」 「でも死はいつか平等に訪れるよ。ただ……それまでは僕はお前のものだ」 「翠は残酷で嬉しいことを言うな」  流がもう一度僕に口づけをする。  湯船の蒸気と汗に滑る首筋を辿り、胸元まで降りて来る。 「あっ……駄目だ。もう上がろう」 「もう少しだけ」  甘えるような声で宥められ、流の手が乳首を弄り出す。  ついこの前まで意識してなかった場所が触れられるたびに、張りつめるように立ち上がっていくのが不思議だ。 「僕の躰……変だ。どうしよう。なんだかおかしくなっている。こんな風になるなんて」 「いい感じだよ。俺が育てているからな」

ともだちにシェアしよう!