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慈しみ深き愛 13

「安志くん……まさか……あの日、洋が過去のトラウマを思い出してしまうようなことをしたのか」  丈さんの勘繰るような視線に、ビールで酔い始めていた体がひやりとした。これは隠し通せないな。あの日洋がせっかく庇ってくれたことを無駄にしたくないと思ったが……正直にすべて話そうと覚悟を決めた。  ところが、丈さんはふっと不敵な笑みを浮かべた後、話を違う方向へ持って行ってしまった。 「まぁ……いい。何があったかは聞かない。だが君の口から考えられる洋のトラウマについて、丁寧に過去を思い出しながら話して欲しい。そもそも君たちはいつからの知り合いなんだ?」  意図は分からないが、正直に全てを伝えよう。丈さんにも知っておいて欲しいから。 「ええ、俺と洋は生まれる前からの知り合いです。近所に住んでいたので妊婦の母親同士が公園で知り合ったそうです。必然的に生まれてからも交流を続けて……その、俺の方が半年早く生まれているから、成長ももちろん早く、早生まれで細くて小さな洋を、よく守ってやりましたよ。幼稚園の時のガキ大将からも。俺の中の洋の最初の記憶って、幼稚園に入る前の夏休みかな。その……俺、洋のこと女の子だと思っていて……」  丈さんの顔色を窺いながら……話を続ける。 「ははっ、それは想像できるな。今でも、あの顔だ。幼い頃はもっと可憐だったろう」 「そうなんですよ! 夏に初めてプールに行った時に、着替える前に洋が転んでびしょ濡れになってしまって、母親が全部その場で脱がしたんですよね。その時、その……アレがついていて驚きましたよ。今、思い出しても衝撃だったな」  話し出すと止まらない! 俺と洋の幼い頃の物語。 「なるほど……それは驚いたな。それで幼稚園も小学校も一緒だったのか」 「ええ、同じ幼稚園、同じ小学校でした。ただ……洋が七歳の時に、洋のお父さんが交通事故で急死され……そこから洋の運命が少しずつ」 「それは聞いている。そもそも洋のお母さんは駆け落ちで結婚したそうだったから、唯一の大黒柱を失った家庭は、大変苦労したとね」 「そうなんです。洋のお母さんは身体が弱くて、働いては身体を壊しの繰り返しで、よく洋は我が家に預けられていました。一緒の部屋で寝たりと兄弟みたいに仲良しで……でもあいつが11歳の時……あの崔加氏と再婚して、そこからは急に軽井沢の別荘に避暑に行ったり暮らし向きもぐっと良くなったので、俺の家族もほっとしていたんです。だから最初は分からなかった。洋のお母さんが病魔に侵されているなんて。表向きは幸せな再婚家庭を築いているとばかり……」  当時のことを話すと、色鮮やかに蘇ってきた。あの頃の洋の顔が……。 「そうか。そういう時期もあったのだな。やはり母親が亡くなった後が気になるな」  いよいよ核心だ。 「二年間暮らしたとはいえ、急に見ず知らずに近い中年男性と二人きりで暮らすなんて、心配しました。案の定、洋はどんどん暗く痩せて元気がなくなって……でももう洋は戸籍も彼の息子になっていたので、うちの家族も迂闊に口出せなくて」 「その頃の洋から、何か助けを求めるようなことは?」 「あいつ……今考えてみたら、何もかも一人で抱え込んで我慢して……くそっ。俺は何をしていたんだ。何も気づけず……助けられなかった」  中学~高校の洋を一番傍で見ていたのは俺なのに、思い出しても後悔が募る。  洋は……一人で放課後、土手に座って……よく時間を潰していた。  昼飯はいつもパンや購買の弁当だった。栄養が足りなかったのか、頻繁に貧血を起こしていた。   「肝心な所だ。しっかり思い出してくれ、助けは求めなくても、何か君に聞いたりしなかったか」  丈さんも真剣だ。俺も必死に記憶の糸を辿った。 「あ……そういえばこ中学の時に、俺にいつまで父親と風呂に入ったかとか、添い寝してもらったのはいつまでか……って、聞いたことがあって、その時は単なるリサーチかと思ってたんですが、まさかアイツが……」 「やはり……父親と風呂に入らされたり、ベッドに添い寝を強要されていたのか」  丈さんの言葉は重たいものだった。だってその後……洋は22歳の時に、その義父にあんな目に遭わされてしまったのだから。 「中学や高校の間、洋はその義父と二人きりで、一つ屋根の下で暮らさねばならなかった」 「アイツには頼れる親戚の存在もなくて、それは、どうしようもなかった」  丈さんの言葉に、俺の言葉を重ねると、それは現実になった。 「やはり……そこか。安志くん貴重なことを話してくれてありがとう」 「いや……洋が最近トラウマを感じているのなら、その責任は俺にもあります。俺……正月に月影寺に泊まらせてもらった時、洋を涼と間違えて……最低なことをしそうになって……あの、すみませんでした!」  やっぱり黙っていられない。そう思って、素直に頭をガバっと下げた。 「ふっ……今更言わなくても……あの時、察しはついていた。洋が懸命に庇うから騙されたふりをしたのだ」 「はぁ? えー! そうだったんですか」  流石だ。大人対応過ぎるだろう! それ! 「ところで、洋が好きな色はブルーで合ってるか。洋の好きな香りはシトラス系で」 「あっはい! そうです。あいつは海のようなブルーが好きで、よく図工でそういう色を生み出していました。香りもシトラス系を好んでいました」 「はは、だが、最近はグリンティーの香りが好きのようだ」 「あ……そうなんっすか。そうか、俺が知っているのは高校生の洋までだから、今の洋の好みでは」  そう言うと、丈さんは満足げに微笑んだ。  もう今の洋の好みまでは、俺は関与してない、知らないんだなと少し寂しく思った。  丈さんと暮らすようになって7年近く経つ洋は、もう高校時代の淡い想いを抱いていた俺の洋ではない。  丈さんの洋になったんだよなぁ……とつくづく思う瞬間だった。  同時にそれが……今は嬉しい。  こんなにも洋のことを真剣に考えて、洋の生きる道を後押ししてくれる人は、なかなかいないぞ。  俺は丈さんと飲みながら洋が幸せに暮らしていることに心を温め、そして俺を愛してくれる涼の存在に感謝した。  人は愛し愛される対象がいると、人に優しく出来るんだなぁと、夜空を仰ぎながら思った。  丈さんはソウルにいる洋に、早く会いたくなったのだろう。  俺も海外ロケに行っている、涼に早く会いたい。  ふたりで見つめる夜空の向こうには、愛する人が確かに存在する。  そのことに感謝して、もう一度、丈さんとグラスを傾けた。  俺達の恋人に──乾杯。

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