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心通わせて 1
「それじゃ住職、お疲れ様です」
「小森くんも、ご苦労様」
「あのあのあの、さっきの最中、とっても美味しかったです! ご馳走様です」
「くすっ、またおやつに買ってあげるよ」
「やった〜! ではまた明日」
通いの小僧の小森くんを見送り母屋に戻ると、作務衣姿の流が台所にいた。上機嫌で鼻歌を歌いながら鍋で何かグツグツと煮ている。
「美味しそうな匂いだね。今日は洋くんの好きな煮込みハンバーグか」
「兄さん! もう仕事、終わったのか」
「うん、小森くんも帰ったしね」
ちらりと時計を見ると、もう夜の7時近かった。
「あれ……丈たちは?」
「まだ帰ってこないな」
「連絡はあった?」
「兄さんは心配性だな。あいつらもういい大人だぞ」
流はそう言うが、僕は心配だった。
今日彼が会った相手は……ずっと周りを拒絶して生きてきた洋くんが、初めて自ら求めた肉親だ。
どうか受け入れて下さいますように。
今日が駄目だったら次は僕が付いていってもいい。なんとしてでも、洋くんに祖母という心温まる存在を作ってあげたいと……おこがましくも思ってしまった。
「お! ちょうど今、横浜だと連絡が来たぞ」
「それで? どうだったと?」
「何も書いてないから分からん。丈らしい用件のみの連絡さ」
「……」
僕は……無意識のうちに車の鍵を握りしめ、スタスタと玄関に向かって歩いていた。
「兄さん? こんな時間にどこへ行くんだ? もう夕食だぞ」
「駅まで迎えに行ってくる」
「え? そんな格好で? 運転しにくいし夜道は駄目だ」
「だが……もしも……洋くんが落ち込んでいたら」
「大丈夫だ、丈がいるのだから……それにしても、兄さんは我が儘だな」
鍵を流に奪い取られ、そのまま唇も奪われた。
「ん……っ、あっ……駄目だ……ここは……母屋なのに……っ」
「じゃあこっちだ」
玄関脇の廊下の暗闇に押し込まれ、壁に押しつけられながら、口づけされた。
「は……んっ……」
ちゅっ、ちゅっと唇をリズミカルに吸われ、流の情熱的な口づけに心が持って行かれると、同時に急いていた心が凪いで来た。
「少し落ち着け、翠……」
「ごめん……無性に気になって、気になって」
「馬鹿だな……兄さんはいつも馬鹿だ」
流の逞しい胸に顔を押しつけられ、優しく髪を撫でられる、
「翠……はひとりで欲張り過ぎだ」
「え? どういう意味」
欲張り? 流の言葉を飲み込めずに首を傾げると、流が苦しそうな顔をした。
「いつもいつも……住職の顔、父親の顔、兄の顔……全部完璧にしようとする。真面目で正義感が強い翠だから、どんなに苦しくても歯を食いしばって頑張ってしまう。今日だってそうだ……迎えに行くのなら俺でも出来る。どうしてもっと頼って、頼んでくれないんだ」
「あ……」
そう言われてハッとする。いつもの悪い癖だった。
「そうだ……流がいるのに」
「今頃気付いたのか」
「ごめん」
「翠らしいが、俺の存在を忘れんなよ。俺は翠の弟であり……」
唇を撫でられ、促される。
「流は、僕の懸想人《けそうびと》だ!」
「お、おい! いきなり核心を突くなよ。て、照れるだろう」
流が突然真っ赤になる。
大らかで大胆、豪快な流の可愛い面が見えると、途端に僕の機嫌も良くなっていく。
だから素直に車の鍵を流に渡した。
「いずれにせよ、疲れて帰って来るだろうから、気持ち良く迎えてあげたいんだ。なぁ……行ってくれるか」
「あぁ、もちろんだ。さてと……そろそろ薙が部活から帰って来るな。兄さんがいないと寂しがるから、ちゃんと出迎えてやれよ」
「あ……うん」
流はずるい……僕が喜ぶ言葉ばかり使ってくる。
「分かった。じゃあ僕が夕食の支度をしておくよ」
何気なく言ったら、流に今度はギョッとされた。
「今度は何?」
「火傷したら大変だから、翠は頼むからじっとしていてくれ」
「流は……僕を腑抜けにしたいの?」
「あぁ、したい!」
「も、もう早く行け!」
はぁ……流との会話が刺激的過ぎて、心臓が変になりそうだ。
廊下の壁にもたれ……深呼吸しながら息を整えた。
最近の僕は……ますます流に溺れている――
補足
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懸想人《けそうびと》とは、思いをかけている人。恋をしている人のこと。
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