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ある晴れた日に 5

 私の胸の内で震えるのは、娘の血を真っ直ぐに受け継いだ大切な孫、洋だった。    私の予感は的中した。両親と離れ離れになったこの子が、どんなに苦労を積んで生きてきたのか。それは、私の想像を絶するものだろう。でも、それについて言及することはしない。根掘り葉掘り聞くことは、やめておいた方がいい。    過去はどう足掻いても過去として存在するものよ。今、私の腕に抱かれる洋は、周りに支えられ、漸くその過去から抜け出てきた子なのよ。 「ママ……ママ……こわかった。いやだった……すごくいやだったんだ」 「ようちゃん。大丈夫よ。よしよし……」  少し錯乱し幼子のように私にしがみついて泣く孫を、私は優しくあやした。  もう立派な青年だが、祖母の温もりを知らずに育って来た幼子なの。  震える背中を撫でて、手を握ってあげた。 「白江さん、あの……準備が整いましたが」 「あら、桂人さんが来てくれたのね」 「えぇ、喫茶ルームの開店準備もあったので。あ……洋くんですか、そこで泣いているのは」 「しっ……静かにね。このまままた寝ちゃいそうなのよ」 「はい」  洋は案の定……泣き疲れて、また眠ってしまった。きっと次に起きた時は、すっきりしているでしょう。 「彼は……きっと白江さんの中に、夕さんを感じたのでしょうね。そして白江さんも洋くんの中に夕さんを感じているのですね。おれにはよく見えます」 「何が見えるの?」 「夕さんの姿が」 「えっ……あの子はどこにいるの?」  桂人さんはスッと手を伸ばし、洋の背中を撫でた。 「洋くんの中で、夕さんは生きています。そして……今、母なる胸に抱かれ、歓喜のあまり涙を流しています。洋くんの涙には、夕さんの涙も混じっていました」 「そうだったのね。とても温かな涙だったわ」 「白江さん、もう大丈夫ですよ。おれには希望岬に立つ彼の姿が見えます。希望に溢れ、まっすぐ前を見つめています。この子はもう大丈夫……ここまで漸く辿り着いたのです」  桂人さんには『予知夢』が見える。だからその言葉が嬉しかった。  高齢の私が、洋と過ごせる時間は限られている。だからこそ、今この瞬間を大切にしたいし、この子の未来に安心を抱きたい。   「白江さんの朝食は、こちらに持って来ます。可愛いお孫さんの寝顔を見ながらの朝食は格別でしょう」 「そうね」  今はもう少し寝かしてあげたい。  私の庇護のもと、羽を休めてね……ようちゃん。 **** 「えー‼ と、父さんが朝食を作ってる!」  朝、学生服に着替え居間に降りてきた薙が、僕を見るなり鞄を床にドサッと落とした。 「おはよう。薙、何もそんなに驚かなくても」 「りゅ、流さんは? まさか、もう飯を作ってくれないのか」 「今日だけ特別だよ。さぁトーストを焼くよ」 「う、うん」  普段、全部流に任せきりだから、どうにも信用がないようだ。  食パンをトースターに並べてダイヤルを回した。 「薙、お煎茶でいい?」 「いやいや。パンに煎茶は変だよ。紅茶がいい」 「あぁ、そうか。紅茶ね」 「父さん、大丈夫?」 「……くすっ、大丈夫だよ」 ところで紅茶は、どこだろう?  ガサゴソしゃがんで勢いよく立ったら、棚の角で頭を思いっきりぶつけた。 「痛いっ」 「だ、大丈夫? もう、オレがやるよ」 「ごめん……」 「いいって。父さんと何かをやるってあまりないから、楽しいよ」 「本当? じゃあ今度一緒に写経をしようか」 「えー、写経じゃなくて、ゲームがいい」  ゲームか。息子からの誘いが嬉しかった。そういえば、そんな風に遊んだのはいつだったか。離婚前は、まだ小さい薙によく絵本を読んだり、ボードゲームをしたりしたな。 「いいね、薙に合わせるよ」 「おっと、パンが焦げてる!」 「ああっ、大変だ!」 「父さん、素手は駄目だ。火傷する!」 「あ、そうか、ごめん」  結局、薙が紅茶をいれてくれ、トーストにバターまで塗ってくれた。 「……父さん、面目ないよ」 「そんなことないさ。オレ、してみたかったから」 「ありがとう。薙」 「う、うん」  まだまだぎこちない部分もあるが、僕と息子の関係も穏やかだ。  もう一人で頑張らないことにした。それが上手くいく秘訣なのかもしれないね。 「大変だ! 寝坊です! 何か食べ物ありますか!」  そこに丈が、ネクタイを締めながらドタバタとやってくる。 「丈さんが珍しいな。洋さんがいないと……案外、駄目駄目なんだなぁ」 「ん? 薙、何か言ったか」 「う、ううん! 何でもないよ」  薙が僕にウインクしたので、僕も同意を込めて微笑むと、「同じ事、父さんにも言えるよ」と言われて、また苦笑した。  いつになく明るい朝、楽しい朝。  こんな優しい朝を迎えられるのが、とても嬉しいよ。

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