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身も心も 14

 母さんが出してきた黒いジャージは、確かに私が高校時代に着ていたものだった。  いつもは破天荒な母だが、こういう時は役に立つ。  洋は事態が飲み込めずに、さっきからずっとポカンとしている。  私はひとりほくそ笑んでしまった。  思い返せば、ついこの間だ。  中庭で流兄さんとすれ違った際に、ニヤニヤと手招きされたのは。  **** 「じょうちゃーん♡」 「何ですか。その猫なで声は?」 「いいもの見せてやるよ」 「何です?」 「こっち、こっち」  全く30も半ばの男が悪巧みした子供みたいな顔をして……やれやれ。  流兄さんの性格は、絶対母さん似だろう。    「ジャーン!」  兄さんの部屋に連れ込まれ得意気に見せられたのは、濃紺のジャージだった。 「高校のジャージだ!」    そういえば……流兄さんは学生時代は家でもよくジャージ姿でうろうろしていたような。しかし……紺色ではなく深緑だったような。 「それ、誰のです?」  答えは薄々分かっているのに、聞いてしまう。 「へへへ、翠のだ」 「やっぱり……」  大方、兄さんが入院して寂しいから、駄々を捏ねて貸してもらったのだろう。  流兄さんよりはるかに華奢な翠兄さんだから、ジャージは着用出来ないだろうに……抱えて匂いでもクンクンかいて、眠りにつくつもりか。  馬鹿馬鹿しい……いや……羨ましいのか。 「良かったですね」 「だろ? これがあれば寂しくないのさ」 「そうですね」  異論はない。  青春が詰まったジャージには、きっと翠兄さんの匂いがたっぷり染み付いているだろう。  翠兄さんの爽やかな制服姿を思い出し、目を細めた。 「じょうちゃんのも、きっとあるぜ。うちの母さんはモノを捨てられない人だ」 「……」  その時は挑発はやり過ごしたのに、翌日、私は母に頼み込んでいた。 「母さん、私の高校時代のものは取ってありますか」 「どうしたの?」 「ちょっと捜し物があって……体操着があったら出しておいて下さい」 「あら? あなたも……なの?」 「何です?」 「ふふ、分かったわ」 ****  そんな経緯で、私は無事に自分のジャージを手に入れた。  母さんには何故か使用目的がバレていたが。 「洋、寒くないか」 「へ? 寒くないよ」  洋が何かを察したらしく、首をブンブン振った。 「いや、寒そうだ。ほら、着てみろ」 「えっ……うう、うん」    私が羽織らせてやると、案の定ぶかぶかで、良い感じだった。 「大きいよ。悔しいな」 「着心地はいいか」 「うーん、丈の匂いがするかな。あっ……何を言わせるんだよ!」  洋が頬を染める。  母が「きゃー♡ それって萌え袖ね」と喜んでいるので、ますます頬を染める。 「お、お母さんまで……よして下さいよ」 「だって洋くん、似合い過ぎよ!」  私の高校時代は……孤立していた。  友人らしい友人もおらず、孤独だった。  だから、そのジャージには大した思い出もない。  青春の甘酸っぱい思い出なんて、欠片もない。  なのに今は……とても愛おしいものに見える。  結局、相手なのだ。  目の前に愛おしい人がいてくれる。  それによって、過去のさみしさも塗り替えられるのだ。  

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