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15章 蛍雪の窓 1

 季節は巡り、2月半ばになっていた。  今日は薙くんの入試本番だ。  丈が早出で出勤した後、俺も母屋に足を運んだ。  薙くんにエールを送りたくて。 「おはよう、薙くん」 「あ……洋さん、おはよう」  翠さんによく似た顔が、いつもより心細そうに見えた。 「緊張しているの?」 「実は、少しだけ」 「大丈夫だよ。君の英語力は抜群に伸びたよ」 「そ、そうかな?」 「そうだよ。だから自信を持って」  薙くんが月影寺にやってきてから、俺が英語の家庭教師をしてきた。  最初は本人にやる気がなく手こずったが、あの事件を契機にガラリと心構えが変わった。どこか斜に構えていたのが抜け、物事に対して真摯になった。 「そうだよ。だから自信を持って」 「ありがとう。洋さん」  薙くんが食卓に着くと、流さんが待っていましたとばかりに、朝食をサッと出した。まるで旅館の朝ご飯のような和定食だ。 「わぁ、うまそ!」 「薙の受験応援スペシャルだ。白米の方が腹持ちがいいし、落ち着くと思ってな」 「ありがとう。あれ? 父さんは?」 「あぁ、出掛ける支度をしているよ」 「支度って?」 「薙を駅まで送るって言っていたぞ」 「えー! いいのに……父さんは朝はお勤めで忙しいだろ」 「まぁ、いいじゃないか。何か一つでも父親らしいことをしたいんだろ」  以前の薙くんだったら、露骨に嫌そうな顔をして反発する所だが、今は満更でもない表情を浮かべている。 ふっ、分かりやすくなったな。  君はまだ15歳だ。  時に母親に甘えたくもなる年頃だ。  それでいいんだよ。  俺はそんな様子を、微笑ましく見つめた。 「ごめんね。遅くなった」  そこに駆け込んできた翠さんの姿を見て、皆、驚いた。  翠さんはミルクティー色の毛並みのいいセーターに、焦げ茶色のタイトなパンツ姿だった。すごく若々しく見える。俳優さんみたいにカッコイイというか綺麗だ! 「父さん、袈裟は?」 「うん、運転しにくいから脱いでしまったよ」 「ぶほっ! 翠~ せっかく俺が綺麗に着せてやったのに」 「あ……ごめんね、流、また後で着せてくれ」 「ははっ、仕方が無いなぁ~」  翠さんがふっと甘く微笑むと、見惚れてしまうほど綺麗だった。  翠さんの柔らかい美しさは格別だ。  蓮の花が綻ぶように、翠さんの笑みは気品がある。  俺はあんな風に……微笑めない。  ふと鏡を見つめ、口角を少し上げてみた。  もう少ししたら……診療所で丈の手伝いをするのだから、もっと愛想よくしないとな。 「……洋くんも、いい笑顔だよ」  翠さんは、俺の小さな葛藤に気付いてくれる。  だからつい心の声を漏らしてしまう。 「翠さんみたいに、優しく……笑えたらいいんですけど」 「ふっ、洋くんは洋くんだよ。自信を持っておくれ。君はこの月影寺で羽化した蝶のように、あでやかで綺麗なんだ。個性を大事にするといい」  個性を大事にか。  翠さんはすごい。  俺の生き方、俺の過去を丸ごと受け入れて、仏のような心で迎え入れてくれる人だ。  

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