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蛍雪の窓 13
東銀座 テーラー 桐生
オーダーしたスーツを受け取るために、再び仕事の後、翠を連れてやってきた。
「お待ちしておりました」
翠のスーツは、店の壁にワイシャツとネクタイをコーディネートした状態で飾ってあった。
誂えた紺色のスーツは、仕立ての良さを感じさせるノーブルな印象だった。
流石、大河先輩だ。
俺の翠に寄り添ったものを作ってくれた。
試着室から出てきた翠を見て、その端麗な美しさに、先輩も思わず目を見開いていた。
先輩に蓮くんという恋人がいなかったら、こんなオーダーはしていなかっただろう。
俺だけの翠だから。
「ぴったりだな、翠」
「うん、驚いた。これ、とても着心地がいいね」
「良かったです。紺瑠璃色のネクタイもよくお似合いで」
「あの……こんな短期間に、素晴らしいものをありがとうございます」
「いえ、卒業式に間に合ってよかったです」
薙の卒業式は、もう明日だ。
その晩は『Barミモザ』には寄らずに、帰路に就いた。
「いよいよ明日だな。俺が学校まで送ってやるよ」
「え? 悪いよ。寺のこともあるのに」
「なあに、小森がいるだろう」
「確かに小森くんも仕事を覚えたので、半日程なら任せても大丈夫だけど」
翠の秘蔵っ子、小森風太。
アイツも、俺たちと同類で、熱々の恋愛中だ。
相手は瑞樹くんの親友……こんな所にも巡り逢いの縁を感じる。
色恋に浮ついた気持ちになり、仕事に身が入らないようなら蹴飛ばすところだが、そうではなかった。ON OFFの切り替えが実はしっかり出来る男だった。最中に饅頭と脳内を汚染はされているが、仕事面では問題ない。むしろ色んな輩に慕われているようだ。
「翠……あのね……頼みがある」
「流……あのさ……頼みがある」
言葉が見事に重なった。
「ふふ、同じことかな?」
「どうだろ? 翠から話せよ」
「あの送ってくれるのなら、いっそ……流も一緒に式に参列しないか」
「一緒に? い、いいのか。俺もそれを頼み込もうと思っていたところだ」
一緒に。
その言葉はとても嬉しい言葉だ。
自分サイドに引き寄せるように誘ってくれる翠は、心の優しい男だ。
「この前……流が薙を「俺たちの子」と言ってくれただろう。あれね、実はとても嬉しかったんだよ」
言葉通りだ。
薙は、翠の血をまっすぐに受けた息子だ。
そして翠と俺は実の兄弟で血は濃い。
だから薙と俺の血も、当然濃いと言っていいだろう。
薙は、俺が愛する人の息子なのだ。
愛さずにはいられない存在だ。
「俺たちの子供」とほろりと言ってしまったが、翠は嬉しそうに「そうだね。本当にそうだ。そんな風に考えてくれて嬉しい」と受け入れてくれた。
「それに薙の中学校は、流の母校でもあるから懐かしいだろう」
「そうだな、そんな名目もあるのか」
「ふふ、後付けだけどね。流、一緒に行こう!」
「あぁ、それじゃ一緒に行くよ」
翠が明るく誘ってくれる。
小さい頃から、癇癪持ちの俺を宥めては優しく誘ってくれた。
翠独特のゆらぎが大好きだった。
この兄の誘いに、身を任せよう。
もう反発はしない。
同調していく。
****
北鎌倉 月影寺 離れ
「なぁ、この制服、クリーニングに出さないとまずいよな」
「それなら大丈夫だ、家で洗えるよ」
「え? そうなの?」
「洋、こんなやましいものを外部に持っていくつもりだったのか」
「い、言うなよ」
改めて言われると恥ずかしい。
ジャージに続き、丈の制服を着たまま抱かれるとか、丈は変な知識ばかり蓄えて。
「ん? どうした?」
「まさか丈も、お母さんの本の影響を受けたのか」
「何のことだ?」
「な、なんでもない!」
お母さんに渡された本の数々を熱心に読んだのは、俺の方だ。丈が当直でいないとき、寂しさを紛らわそうと読み始めたら止まらなくなったのだ。
「洋、今度は何を期待しているのか」
「何も!」
「ふふん、制服のネクタイで目隠しとかしてみるか」
「し、しないって!」
「可愛いな、洋。君好みに抱いてやりたい」
馬鹿だな、丈。
俺はお前に触れられるだけで蕩けそうになるのに……
「あ、あのさ……明日は薙くんの卒業式だな」
「そうか。薙もいよいよ高校生になるのか」
「薙くんには、いい思い出を沢山作って欲しいよ」
「……洋……今、満ち足りているか」
どうやら俺は最近、また丈を不安にさせてしまったようだな。
確かに高校時代の思い出は、良くない事ばかりだが、もうあれは全部過去だ。あの過去を抜けて、今がある。
だから丈の目の間にいる、今の俺を見てくれよ。
「あぁ、満ち足りている。丈がいるから……」
苦しみも悲しみも切なさも、全部丈が取り除いてくれ、愛情で埋めてくれたから。
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