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蛍雪の窓 15

「流、これは僕が見立てたネクタイだ。今なら……してくれるか」 「喜んで!」  当時……どうしてこのネクタイを、突っぱねてしまったのか。  薙が5歳の時に離婚してから、翠は欠かすことなく月に一度の面会をしていたよな。俺が付き合った時も、付き合えなかった時もある。  あの頃の俺は、翠の目が完治するために願掛けをしていた。恋慕の気持ちを封印すると。だから翠に対して必要以上に踏み込むことを徹底して避けていた。  そんな理由で、翠がせっかく選んでくれた誕生日祝いも「不要だ」の一言で見もせず、突っぱねてしまったようだ。まさか薙と二人で選んでくれたものとは露知らず。  あぁ勿体ないことをした。  いや、そうじゃない。  今だからこんなに明るい気持ちで受け取れるのか。  全ての物事には、タイミングがある。 「あの頃はさ、何かいつもと違うことをしてもらうと、一気に翠を恋慕する気持ちが溢れ暴走しそうになるから怖かったんだ。だから受け取れなかった。悪かったよ」 「流……僕こそ、気を回せず悪かった。そんな気持ちだったなんて」 「このネクタイ、今日していくよ。スーツも見立てて欲しい」 「もちろんだよ。僕だけ新調してもらって悪いね」 「なぁに、今日の主役は翠だから当然だ」  そう言い切ると、翠が肩を揺らした。 「流、何を言って? 今日は薙の卒業式だよ?」 「それはそうだが……翠のこととなるとつい力が入ってな。どんな父兄よりも若く美しいからな」 「も、もう、変な目で見るのなら連れて行かないよ」 「変な目ってどんな目だ? ん? 翠、言ってみろよ」  翠に詰め寄り……  納戸の中で熱い抱擁、熱い接吻。 「流のその目……狡いよ。僕をいつも絡め取って……」 ****  卒業式の朝。  オレは自室で中学の学ランに袖を通した。  そう言えば、この学ランは母方の祖母と一緒に作りに行ったものだ。  母の予定が合わなくて、あの頃から母はオレを放置していたよな。  皆、両親か母親の付き添いなのに、オレだけ祖母で気恥ずかしかった。  祖母はサイズのことあまり分からず大きめを作り過ぎて、最初はかなりぶかぶかだった。  だが……   「もうぴったりだ。いや、キツいくらいだ」  トントン。 「誰?」 「父さんだよ。入ってもいい?」 「うん、どうしたの?」 「……薙の中学の制服が見納めだから」  父さんが目を細めて、オレを見つめてくれる。  昔は、父さんの優しい目が苦手だった。オレを捨てて、置いて行ったくせに、今更何だよと穿った見方でしか見られなかった。 「本当に大きくなったね、薙」 「もう父さんと変らないよ」 「ん……いよいよ抜かされそうだね」 「うん、高校で抜かすと思う」  二人で姿見を見た。  中学生のオレとは、今日でサヨナラだ。  この目線で父さんを見ることも、近い将来なくなるだろう。 「薙、ホックを留めてあげるよ」  自分で出来るよと、断ろうと思った。  しかし急に甘えたくなった。   「うん、やって」 「もうキツそうだね」 「中学3年間で、背が15 cm伸びたからね」 「そんなに? あーぁ、高校の卒業式ではもう見上げているんだろうね」  そう言えば、入学当初……ホックを外すのは簡単だが留めるのは難しかった。  父さんとオレの関係も同じだ。  関係を絶つのは楽だったが、結び直すのは大変だった。  しかし、今はもうカチッと心と心が繋がっている。  このホックのようにね。 「出来たよ。本当にカッコイイね」 「父さんってば、さっきから親バカだよ」 「そうかな? だって薙は僕の息子だよ?」 「うわっ、父さんがそんなこと言うなんて意外だ」  父さんも自身の発言に照れていた。 「流さんの影響? いいね。そんな父さんも好きだよ」  さらりと放った言葉に、今度はオレの方が照れてしまう。  それは、ずっと言い出せない言葉だった。  心の中では、何度も思っていたくせに。 「薙……ありがとう。今日はいい日になるよ」 「父さん、その格好で行くの?」 「いや、今日はスーツなんだ。着替えてくるね」  袈裟を脱いでスーツに?  最近、オレだけのために父さんが色々してくれる。  歩み寄ってくれる。  だからオレも歩み寄りたい。  父さんが好きだから。      

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