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花を咲かせる風 13
来たな。
今日の今日で、いきなり俺を呼び出すなんて、一旦何のつもりだ?
「お待たせ」
「……久しぶりですね」
深紅のルージュに、少しきつめの香水。
俺が銀座のBarで会う約束をした相手は……
彩乃さんだった。
今朝、翠が出掛けてすぐに、いきなり電話がかかってきた。
……
「流さんね、お久しぶり。ねぇ翠さん、いる?」
「……兄さんはいないが」
「あら? どこに行ったの? 珍しいわね。いつ帰るの?」
「……今日は帰らない」
「どうして? じゃあ薙はいる?」
おいおい、質問攻めだな。
正確に答えるまで、しつこく追いかけられそうだと観念した。
「二人で旅行中だ」
「へぇあの二人……そんなことするようになったのね。で、何処に行ったの?」
「……京都だ」
「京都ね。翠さんの携帯番号教えて。最近変えたの?」
今日はせっかく親子水入らずで旅行中なのに、こんな調子で電話がかかってきたら、翠の気が滅入りそうだ。
俺が盾になってやりたい。
「京都まで行きそうな勢いだな。そんなに急用ですか。二人は旅行中なんですよっ」
ついムキになって、声を荒らげてしまった。
「そうねぇ……急用といえば急用だけど、そうだわ。あなたでもいいわ。流さん、今から東京まで来られない?」
「強引だな」
「ふふ、あなたにとってはいい話かも? ゆっくり話せる場所を指定してよ。銀座がいいな」
「分かりましたよ」
……
という経緯で、急遽、小森に賄賂を渡して、東京にやってきた。
「驚きましたよ。いつ帰国を?」
「昨夜よ。ちなみに今回も一時帰国よ。ちょっと手続きをしたくて」
「……?」
「だから翠さんに用事があったの。私も丸くなったわね。京都まで押しかけようと思ったのに、我慢出来るなんて」
彼女は珈琲ではなく、カクテルグラスを傾け、得意気に微笑んでいた。
グラスにべっとりついたルージュを見つめていると、仄暗い気持ちになってしまう。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。あなたの大事なお兄さんには、もう手は出さないわよ」
「それはどういう意味だ?」
「実はね、とうとうフランスで再婚することになったのよ。国際結婚よ」
「‼‼ そんな大事なこと、俺が最初に聞いていいのか」
彩乃さんがニヤリと口角を上げる。
「あなたが翠さんには手を出すなと、電話口ですごい剣幕だったのよ」
「あ……それは、すまん」
俺は、月影寺から翠を奪った彩乃さんを、未だに警戒しているのか。
「再婚……おめでとう」
「ありがとう。やっと翠さんを越える人と出会えたのよ」
「国際結婚って……実家の寺はいいのか」
「うん、従姉妹の子供が男の子ばかりなので、将来任せられるみたい」
「そうか……」
「私ね、森の名字ではなくなるのよ。もう間もなく」
「急だな」
もしかして……
「だから……私と同じ森の姓を名乗る薙を、この先どうしたらいいのか迷っていて。ねぇ最近の薙はどう?」
「……薙は高校も地元に決まって、すっかり月影寺の一員だ」
「そうなのね。やだ、私、あの子が受験生だったのも抜け落ちていたのね。もしも昔みたいに翠さんと上手くいっていないなら、フランスに誘うと思ったけれども野暮みたいね。二人で旅行するまで仲良くなったなんて、正直驚いたわ」
「薙から旅行に行きたいと、熱心に誘っていたよ」
「……そうなのね」
彩乃さんはクイッとカクテルを飲み干して、俺に一枚の名刺を渡した。
「私は再婚前に10日ほど里帰り中よ。だから翠さんが旅行から戻ったら伝えて、薙の親権の件を……この弁護士さんに相談しましょうと」
「親権って……もしかして」
「まあね。私だって一応母親よ。あの子の幸せが第一なの」
「……ありがとう。必ず伝えるよ」
「もう行くわ。流さんもかなりいい男だから、変な気分になる」
「は?」
「くすっ冗談よ。翠さんを引き続きよろしくね。翠さんってぼんやりしているから、変な女にひっかからないように見張っていてね」
「それは絶対にない!」
「ふふっ」
彩乃さんは相変わらず我が儘で強引だが、それは俺と似た部分でもあるのかとふと思った。
コツコツ……
ヒールの音が去って行く。
俺は胸を撫で下ろした。
会うまでは何事かと思ったが、悪い話ではなさそうだ。
俺たちが望む方向に進むかもしれないと思うと、胸が高鳴った。
そこにカウンターに置いてあったスマホが鳴った。
噂をすれば、翠からだ――!
****
「あれ? 翠さん、話し中だな」
「珍しいな。じゃあ流兄さんにかけてみたらどうだ?」
「そうだね」
ところが、流さんの携帯も話し中だった。
そこでピンときた。
もしかして二人で話しているのかな?
だとしたら野暮だ。
「もう少ししてから、かけるよ」
「そうか。洋、せっかくだから、少しこの辺りを観光するか」
「あ……俺……二寧坂の陶器屋さんに行きたい」
「……何か欲しいものでも、あるのか」
「ある」
「なんだ? 何でも買ってやる」
「駄目だよ。俺からのお祝いにしたいから」
清水焼の店に入って、ペアのマグカップを探した。
「丈……あのさ、開業したらさ……二人で昼食を取って、お茶も出来るんだよな?」
「あぁ、もちろんだ」
今までは……ずっと日中ひとりだったので嬉しい。
「これは、どう?」
白いマグカップは仄かに青みを帯びた月白釉で柔らかい丸みを帯びていた。月のように美しい。
「気に入ったよ。もうすぐ洋と四六時中一緒にいられるようになるなんて、嬉しいよ」
「……そんなに一緒にいて、俺に飽きないか」
「飽きるはずない。幾千の夜を越えても、愛し続ける自信がある」
丈が店先で断言するので、照れ臭くなった。
「お、おい、こんなところで」
「旅行中だ。誰も私達を知る人はいない」
「……それもそうだな。じゃあマグカップはこれに決まりな」
さっきは過去に引き摺られそうになったが、今暫くは……逸る気持ちを抑えて、丈と足並みを揃えていこう。
旅はまだ始まったばかりなのだから。
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